死命の果ては天のさだめ


 エスカルクリフの僧侶であるアーロンがカデネト城に足を延ばしたのは失敗だった。財宝はおろか金も銀も剥されつくした古城に関心を示す者は少なかった。ましてや、森林の奥深くにあるときている。彼の誘いに乗ったのは、結局ルルという飄々とした学者ひとりだけ。アーロンは彼と何度か遺跡探索に出たことがある。誰も行きたがらない古城に共に行くというこの若い学者にアーロンは感謝した。
 森に埋もれたカデネト城は長年人が近寄らなかった割には案外城の形状を保っていた。人がこの過去の遺物に近付きたがらないのは財宝が奪われ尽くされ忘れられたという理由もあるが、どうやらそれだけではないらしい。
「出るらしいですよ、この城」
 ルルはそういってわざとらしく笑う。たしかに、人気のなさに反して城内のほこりの少なさは異常な感じを覚える。崩れたところや壊れた部分も一見見当たらない。しかし、アーロンはその説に首をかしげる。
「住む者のいない城なんて、みんなそんなものだろう。なぜカデネト城だけ特別扱いされねばならない?」
「嫌だなあ。それこそあなたたちの大嫌いな竜王が若かりし頃住んでた城じゃないですか。特別だからこうやって苦労してやってきたわけで」
 古レガリア神話の豊穣の女神であるエスカを最高位の神と崇めるのが、アーロンたちエスカルクリフだ。神話では、不死身の女神は破壊の化身である竜によって周期ごとに滅ぼされる。
この地からかつて広大な王国を築いた竜王と称される王は、竜の力を自在に操り最終的には自身も竜の姿に変化したという。その伝説を引き合いに出し、エスカルクリフは人の欲望が巨大化すると汚らわしい竜の姿に身を落とすことになると教えている。
 彼らがその竜王が若き時代に居をさだめていたカデネト城にはるばるやって来たのは、失われたエスカルクリフの宝、エスカ女神像の手がかりを探しにやって来たのだ。
「かつて世界中の富と財宝がこの城に集められた。王国が滅んだ後も、すべての価値あるものがカデネト城に吸い寄せられるという。だからでしょう?」
「……そうだ」
 二人は台形型をした殺風景な広間に入った。床の割れ目から背の高い草が茂り、白い花をつけている。いままで覗いてきた部屋の数々には見られなかったものだ。
 見たこともない花だった。花弁は大きく分厚く中央はわずかに赤みがかっていて、ほのかな甘い香りが広間中に充満している。
「おや、絵画だけは残されているんですね」
 花に目を奪われていたアーロンはルルの声に顔を上げた。見ると、物々しい柱で死角になっていた左の壁の天井に近い位置に巨大な肖像画が掛かっている。左部分には主人の肖像画が並んでいたのだろうか、中央より右方向に寄っている。アーロンはふらふらと肖像画のほうへ引き寄せられた。ルルが動物めいた青い目をひそめてそれを訝しげに眺める。
「エスカ女神のお顔だ……!」
 そのまま心奪われた面持ちで肖像画を食い入るように見つめ続ける。たしかに、肖像画の中の貴婦人は、女神のように美しい。毛皮を肩に纏い、鉄の冠を被って、絵画の中から完全無欠の微笑を広間に向けている。
「どうして女神だってわかるんですか?」
「赤い豊かな髪、澄んだ緑の瞳、秀でた額、真紅の衣に獣の毛皮の女性がいたらエスカ女神しかいないに決まっているだろう!」
「ええ〜、そんなことないでしょ」
「これらすべてが女神の象徴。エスカ女神がこの世に降り立つ際に身に纏う肉体と衣服なのだ!」
 力説するアーロンから後ずさりながら、ルルは目の端でなにか動くものを捉えたような気がした。
「ああ、まさに女神がおられたらこのようなお姿だろう。まるで生きているかのようだ」
「ん?」
 壁の絵がかすかに揺れたように見えた。くすくす笑いに肩を揺らすごとく。
「この髪など特に本物みたいだ。まるで……」
 背の高いアーロンが肖像画に手を伸ばす。そしてはっとして動きを止めた。
 さきほどの揺れでこぼれ落ちたのだろう、深い赤色をした髪のひと房が額縁の外へと流れ飛び出している。目を見開きながら、アーロンはそれにそっと触れた。柔らかくしなやかで少しだけもつれた本物の髪だった。
「魔物め」
 ルルが腰に吊るしていた短剣を細腕で力の限り絵に向かって投げつける。短剣はアーロンの頭上を通過して貴婦人の額に当たる。金属めいた甲高い音が鳴って、短剣は刺さることなく床に落ちた。アーロンがすさまじい剣幕で振り返る。
「なにをする!」
「この城に巣くう魔ですよ。現に短剣が刺さらなかった」
「おまえの腕が悪いからだろう! 女神のかんばせを傷つけたらどうする!」
 学者は壁のほうへ顎をしゃくって見せた。僧侶は黄金色の三つ編みを大きく振って肖像画に向き直ると、壁には額縁どころかなにもなかった。鎧戸もガラスも失われた窓から風が吹きこみ、女の笑い声に似た音が広間にこだまする。それに呼応するかのように花々もその体を揺すった。
「あれが女神か魔物かどうかはともかくとして、肖像画の位置的には竜王の妃だったんじゃないですかね。左側になにもなかったでしょう、あそこに主人の竜王の肖像画掲げられていたと思うんですよ。それにしても……いやはや、本当に出るとは」
「まだ城にいるのだろうか」
「探し出せなきゃここに来た意味がないですよ」
「私は幽霊探しに来たわけじゃない」
「でも、見つけ出して聞きたいことは山ほどあるじゃないですか」
 風が通り過ぎ、花たちは体を揺らすのをやめた。そして、肖像画の掛かっていた壁の隅にある出入り口のほうへ一斉に花冠を向けた。
「まったく気味の悪い城ですね」
 ルルの顔に浮かぶ不気味な笑みに、アーロンは肩をすくめて応えた。
 花が示す戸口をくぐる。続く先は長い直線状の廊下だ。なんてことのないただの廊下だと思った。歩みを進めるうちにアーロンは左肩になにかが触る感触を覚えた。大柄なアーロンよりも幾分背の小さいルルは右手を歩いている。廊下には窓が無く風も吹いていないのに、衣擦れの音がした。注意を耳に集中させると、ささやき声や笑い声、せわしなく行き交う靴音までが頭の中に響く。その無数の存在を肌にも感じる。
 視線の端でルルを捉えた。珍しく眉間に皺が寄る姿を見て、アーロンは小さく息を吐いた。
「おまえもこの気配を感じるか?」
「感じるどころか。あなたには見えないんですか? こんなにはっきり人が山ほどいるのが」
 困惑した表情でルルはアーロンを見上げた。そのまま身をよじる。横切る人間をかわすようだった。
「私には姿までは見えない」
「向こうもこちらのことは見えていないようですよ。さっきの召使、俺に突進してきました」
 アーロンは目を凝らしたが、瞳に映る光景は薄暗くがらんとした廊下から変わりない。話し声は奥へ進むほどに強くなっていく。その言葉はふわふわして頭に入りづらく、理解しようとしても耳の中で夢のように消えてしまう。
「奴らの話しているのは何語だ? 意味が聞き取れるか?」
「それが、混ざっていてわからないんですよ。竜王が即位していた当時の言葉もあるようなんですが、もっと昔の言語もある気がします。どちらにせよ、数が多すぎて喧騒にしか聞こえない。聞き分けることができません」
 ルルは首にかかった紐を弄びながら唇を噛みしめた。
「まるで墓場ですね。いにしえの王国の」
「あれらは本物の幽霊なんだろうか。そういったものが本当にいるとして。私はエスカ女神の夢の中にわれわれが入り込んだのだと思った。豊穣の女神が昔を懐かしむ夢だと」
「これが夢の中?」
 思ったままを口に出したアーロンの隣で、ルルが眉を吊り上げる。
「なるほど、試してみましょうか」
 学者は長い上着に隠された短剣を抜いた。降り注ぐ灰色の陽光を受けて刀身がアーロンの目を射る。躊躇う素振りも見せずに、ルルは袖をまくると短剣を肘の近くの薄い皮膚に押し当てた。止める隙もなかった。血色の悪い細腕から鮮血がゆっくりと湧き出る。
「痛い」
「当り前だろう!」
「これでも夢の中だというのなら、あなたにも一撃お見舞いしましょうか。もっとも、幽霊なんてものが居てはあなたたちの教義に不都合なのは知ってたんですけどね」
「エスカルクリフも一枚岩ではない。信じる僧侶もいる」
 アーロンは思わずぎょっとしたが、傷は浅かった。一滴の血はすぐに固まりそれ以上の流血は起こらない。ルルは飄々とした笑みを崩さずに短剣をひらめかせる。アーロンは重々しくため息を吐きだした。
 突き当りを右に曲がり、かすかにしか日の射さない北を進む。終点が見えてきた。廊下はひとつの両開きの扉へと続いていた。この城を通り過ぎた歳月が圧し掛かる、丈高く厳めしい鉄扉だ。ふたりは目線をかわすと、アーロンが先に立って力の限り扉を押した。
 縦に長い部屋の中央に、女が背を向けて立っていた。肖像画そのままで、肖像画から抜け出て女神像としてこの世に姿を現したかのように見える。部屋は謁見室だった。儀仗の衛士隊のように行儀よく二列に並んだ柱にはさまれた歩廊の先に、朽ちて汚れた中にかろうじて残った黄金が鈍く光る玉座が二つ並んでいる。その前に女は立っていた。上を見上げている。上はただの石の壁だ。かつてはそこになにか掛かっていたのかもしれない。
 ルルは声を潜めてアーロンの名を呼んだ。
「あの様子を見て女神だと言えるんですか? 俺は竜王の妃だと思いますよ」
「幽霊だというのか。あれが竜王の妃ならば、欲深いその女が何を護ってここにいる?」
「それこそ、物凄いお宝が眠っているに違いない」
「私たちは墓を暴きに来たのでも、関係ない宝を奪いに来たわけではないぞ」
「人類から奪われた宝を、竜とその眷属より取り戻す。それなら意味のあることです」
 二人は絨毯の影もないひび割れた回廊を女に向かってゆっくり歩み寄った。女が微笑みを浮かべながら振り返る。肩に纏った毛皮が豊かな翼のように優雅に翻った。舞い上がる烈火の長髪が光を纏い周囲に明かりを振りまく。
 その魔力に屈したかのようにアーロンは跪く。女は目を細めてアーロンを捉え、彼はさらに額ずく。エスカルクリフの僧侶の乾いた口から、吐息ほどの自然さで女神の名が呟かれる。
「エスカ女神……。女神がこのような見捨てられた地におわすなんて」
 顔を伏せたアーロンは気が付かなかったが、彼の言葉を聞いた女の顔面がみるみる凶悪に変わっていった。ルルはアーロンに言葉をかけるべきか惑いながら腰の短剣を探った。
「イ・エスカ? マゴル・フルム・イ・エスカ。ナート・コエリムスト」
 邪悪に歪んだ血色の良い唇から呪詛の言葉が吐き出される。アーロンがおののきに身を震わせて顔を起こす。女の顔は変化していた。見開かれた大きな目は吊り上り、口は裂け、鉄の冠が曲がりくねった角に変わり、肩に纏った毛皮がぎこちなく動き出す。ルルを振り返ったアーロンは蒼白だった。
「だから、言ったじゃないですか」
 熱くなってきた胸元に無意識に手をやりながら、呆れ顔でルルが言う。
「秘宝を貸せ!」
 アーロンは手を伸ばすと、ルルの首にかかる紐を己の方へ勢いづけて引っ張った。引っ張られてのけ反らされ首を絞められる形になったルルは、急な苦痛に眉をしかめ呻く。
「いつからトゥルレムの秘宝に反応があった?」
「いまさっき。女が姿を変えたときから。ちょっと、早く離してください。痛いんですけど」
 僧侶がそのごつごつした手を縦に開くと、赤い宝石がその中から現れる。革紐に繋がれた宝石は熱を伴い赤く発光しながら学者の胸の上に落ち着く。ルルは竜の熱に反応して光る秘宝をシャツの中に仕舞いこんだ。白くなめらかな首には細い紐の跡が薄く残っている。
「あれが竜か? 女神が?」
「この国の伝承には語られていないことですね。ともかく、あれが人竜であることには間違いない」
「何故だとか、どうしてだとか、そういった難しいことはおまえに任せよう。トゥルレムの秘宝が語る以上、私は竜を斬る。贋物の女神を」
 アーロンは小さく祈りの言葉を呟きながら、ローブの下に佩いただんびらを鞘から引き抜く。光を受けて刀身が輝く。右耳にぶらさがる、エスカルクリフの戦闘員である証の白鑞の小さな耳飾りが揺れる。
 人竜の女は縦に細く開いた瞳孔でアーロンを見据えた。毛皮が羽ばたいて翼の形になり、銅色に輝く長髪が背中ではためく。翼は大きく、女の腕の二倍は長い。それはおどろおどろしい皮膜を内側に隠して畳まれた。
 アーロンが手に馴染んだだんびらを構えて駆け出す。女が己の冷たい玉腕を突き出す。よく見れば、そのなめらかな肌も人の肌ではなく小さな鱗に覆われている。女の手が鋼をじかに掴む。硬いもの同士が擦れる音がして、周囲に火花が飛び散った。
「まだ人の形を保っている。完全に竜化していないのなら、恐ろしい炎も吐けないでしょう。ただの硬い人間だと思えばいい。身体能力は高いでしょうが。竜の弱点は嫌というほど知ってますよね?」
「言われるまでもない」
 短く答えたアーロンは剣の自由を取り戻すため、人竜の腹を足で押しやる。女は少しよろめいたが、背中の両翼を用い体勢を整えると強く羽ばたいた。舞い上がり、そのまま翼を斜めに構えアーロン目がけて襲い掛かった。鋭い牙が並ぶのがはっきり見えるほど大きく開けた口が迫る。
「ルル、嘘をつくなよ!」
 至近距離で炎を浴びせられると思ったアーロンは、女の顔の前を慌てて薙ぐ。女は自分を斬ろうとしただんびらに噛り付いた。
「ほら、嘘じゃない。炎は吐けないはずですよ。あなたの剣を食べようとはしてますけど」
「私の剣には退魔のまじないをかけてあるのに」
 人竜は顎を懸命に動かして鋼を噛み砕こうと足掻いている。
「おまじないなんか、安心感を得るためってだけのものでしょう。よっぽど良い鋼なんですかね」
 アーロンは強靭な顎から必死に己のだんびらを取り返そうとした。竜が鉱物を好んで食べるのはこの国ではよく知られたことだった。彼らは太古の大地の欠片である宝石や鉱物を摂取し、肉体をより硬く作り変えるのだ。そして、完全に竜となっていない人竜にはいまだ硬化していない部分がある。それはたいていの場合眼球だ。
 アーロンと人竜が膠着状態に陥っているのを見て取ったルルは、再び胸から下げた赤い宝石を取り出した。掲げられたトゥルレムの秘宝はこれまでにない強い光を放って、ルルの頭を赤く照らし出す。突然芳しい香りでも嗅ぎ取ったかのように、ルルのことを気にも留めていなかった人竜の頭が秘宝に向けられる。
 その隙をついて、アーロンは一気に剣を引き抜いた。女の視線がまたアーロンに戻る。怒り狂った人竜が角の生えた頭を振り回し、美しい髪を振り乱す。翼を覆う漆黒の毛が逆立つ。アーロンは避けそこなった角の重い一撃に打ち倒されて仰向けになった。勢いのまま、人竜の角も石の床に打ち付けられる。彼女が角をアーロンの腹へ向けて振り被るのと、アーロンが剣を握った右手を彼女に向けて突き出すのは同時だった。喰いしばった歯の隙間から、寺院で頻繁に口に出される祈りの言葉がこぼれ落ちる。
「女神エスカ、うるわしのエスカ、どうかお許しを」
 腹を庇った左腕ごと角の衝撃が体に沈みこむ。だんびらが人竜の顔を走り火花が飛んだ。胃から空気が絞り出される。苦痛の中で片目を開ければ、人竜が火花に目が眩んだ拍子に前へと傾きかけていた。
「女神よ、あなたの仇たる竜を滅ぼすわれに祝福を」
 ひび割れたささやきをそっと口の中で転がすと、アーロンは全身の力を振り絞って右腕を伸ばし、女の目玉に剣を突き刺した。
 力ない腕で剣を引き抜く。謁見室に絶叫が響き渡った。鼓膜がびりびり震える。部屋を満たす大音声の中で、アーロンは安堵のため息をついてまぶたを閉じた。いつの間にかすぐそばにルルが立っていた。
「寝ている暇はありませんよ、アーロン」
「私は疲れた……。少しばかり休んだっていいだろう」
「あなたの女神が」
 アーロンは目を薄く開けた。見れば、アーロンが突き刺した左目から、人竜の女の顔面が少しずつひび割れていく。割れた欠片は床に落ちると陶器の音を立てて転がった。アーロンは疼く痛みも忘れて目を見開き、肘を立てて重い体を起こした。
 変化が起こったのは顔だけではない。角は湯気を立ち昇らせながら花冠に姿を変え、翼は持ち上がり小さく畳まれて肩に纏う毛皮となった。割れて砕ける恐ろしい女の顔の下から覗いたのは、穏やかに微笑む女神のかんばせだった。それはまさしく、いにしえの絵画に残されたエスカ女神像だった。身に纏うドレスの足元から、女が石に変わってゆく。顔に張り付いた人竜の仮面の最後のひとつが光を纏って床に落ちた。と、ともに、溢れた真紅の血液が凝固して光り輝く宝石となる。人の技巧が加わらない荒々しい自然の形をしたそれは、たしかにルルの持つトゥルレムの秘宝と同じ石だ。
 失われし女神像の出現に、アーロンが祈りの文句をひとりごちながらそれを見つめる。
「女神が。女神像が私の目の前に存在するなんて。あの人竜は女神だったのか?」
 早くなる鼓動を全身で感じ、アーロンは石像に手を伸ばしかける。突然、あまりの興奮に熱い体を急激な冷たさが襲った。
「お疲れ様でした。あなたの冒険はここで終わる」
 わずかに頭を巡らして背後を見やる。柔らかな笑みを浮かべたルルが、アーロンの首筋に短剣を押し当てていた。動物めいた両の目が見たことのある輝きをはらむ。
「人竜を殺したのは私だ」
「レガリア語で書かれた地図を読みここまで案内したのは俺です」
「なぜおまえが女神像を欲しがる? 神を信じないおまえにどうして女神像の価値がわかる?」
 ルルの微笑がゆっくりと顔中に広がる。恍惚の表情が形作られる。
「いにしえのものだから。貴重なものだから。だから欲しい。所有したい。それ以外に理由が要りますか?」
「その程度の理由しか持たぬおまえに渡せるか」
 言うや否や、アーロンはだんびらを怒りにまかせてルルへと振った。一撃を受けたルルの上体が後ろに傾く。自分のしたことに驚き、体の芯まで氷に襲われかける。しかし、鎖帷子を斬りつけたような硬い感触に首をかしげる。
 ルルは笑みを浮かべたまま姿勢を戻した。予想した流血はひと粒さえも起こらない。
「あなたは知ってるはずですよ、俺の斬り方を」
 大きく破れたシャツの前から覗く青白い肌を見て、アーロンは脳まで氷に支配されたような気がした。頭がくらくらした。
 ルルの左の胸元は心臓を護るように鱗に覆われていた。比較的大きくまだ生えたばかりに見える。
「なぜだ」
「俺は本物のトゥルレムの秘宝を見つけたことがあるんですよ。いまの時代に加工されたものじゃなくて、塔作りの魔術師たちの時代の。誰にも渡したくなくて俺はそれを飲み込んだ。それから体がこんなふうになりました。俺のこの秘宝、これも俺の血で作ったんですよ。人竜の女の血が石に変わるのを見たでしょう」
 シャツの破れた間から、トゥルレムの秘宝が赤い光を放ちながら揺れる。瞳に竜の眼光が灯る。
「俺は女神像が欲しい。この血はいにしえの石の誘惑に抗えない。アーロン、あなたを殺してでも宝が欲しい。……さあ、剣を構えてください。俺を殺せばこの宝はあなたのものだ」
 ルルは手元の短剣を弄びながら、心底楽しそうに笑った。

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