山賊のおひめさま


 むかしむかし、ある鬱蒼とした山の中にお城がありました。このお城はもともとこの地を支配していた貴族のものでしたが、山賊の一団に襲われてから、山賊たちの根城となっておりました。
 さてある日、隣の国の王子さまが遠乗りに出掛け、家来とはぐれて迷子になって森を彷徨っていました。王子さまは木々の合間からかすかに見えるお城の輪郭を見とめ、宿を乞うことにしました。
 やっとの思いで城までやって来た王子さまは分厚い木の門を叩きました。
「ぼくは隣の国の王子です。遠乗りに出掛け、迷ってしまったのです。どうか一晩泊めていただけないでしょうか」
 王子さまの丁寧なあいさつに山賊たちはびっくり仰天しました。そして、この突然の訪問をいぶかしみました。しかし、どうやら砂まみれになっている下からは本物の宝石や金糸の輝きが見えるのです。山賊たちはこのお客をすこしばかり、からかってやることにしました。
「王子さま、よくぞおいでくださいました。あっしらの汚い宿でよければ、どうぞお使いくださいな」
 門を開けた山賊は、お城に眠っていた長持ちから適当に上等な服を引っ掛けていました。それはもう珍妙な格好でした。顔はひげがぼうぼうで、伸びっぱなしの髪の毛は雑にリボンで結わえただけ、短いズボンからは毛むくじゃらの足が覗いています。そのくせ、上着は鮮やかな青色で金糸の縁取りがあるのです。
「不思議な服装をしておられますね」
「へえ、これがこのあたりの流行なんで」
 いけしゃあしゃあと山賊はいいました。
「ちょうど晩飯にするところですから、王子さまもご一緒に。ボス……あっいや、あるじも喜びますんで」
「晩飯? 晩餐のことでしょうか」
「へえ、そうです、そうです。ここいらじゃあ、晩飯って呼ぶもんで。田舎者でお恥ずかしいかぎりです。こんな山ん中にいると、正しい言葉づかいなんてわかんなくなっちゃっていけねえですね」
「いやなに、気にしないでいただきたい。その国にはその国の言葉があるものですから」
 食事の間に着くと、もうみんなが食卓について王子さまを待っていました。山賊の頭領――真っ赤なびろうどのマントを羽織ったこわい顎髭の大男で、小汚さは王子を案内した山賊とそうたいして変わりありません――が立ち上がって王子さまを迎えました。
「これはこれは王子さま、よく来てくださった。腹も減っているでしょう。ほら、ここに座られよ。さあさあ、はやく食べましょう。本物の王子さまと一緒に食事ができるなんて、われらにとってなんとも光栄なことですからな」
 食卓の山賊たちはみんなひそやかに笑いました。
「ご親切に、どうもありがとうございます。ここに来てようやく空腹なことに気がつきましたよ。素晴らしく良い香りですね」
「われらの食い物は国でいちばんですのでな。さあ、たらふく食って腹の虫をおさめよう!」
 貴婦人のドレスを身に着けた山賊の女たちによって、出来たてほかほかの料理が運ばれてきました。王子さまが普段食べるような宮廷料理ではありません。スパイスたっぷりの山ウズラとか、技巧を凝らした美しい野うさぎのパイは出てきませんでした。お皿に山盛りになったにわとりの手羽先に、熱々のシチュー、焼きたてのそっけない黒パン、薄いクレープ、あぶらも滴る豚の丸焼き、干し肉と塩漬けの山菜などなどです。山賊にしてはごちそうの類でした。
 料理が細長い食卓の上に並べられるあいだ、おのおのの大きなさかずきにりんご酒が注がれました。お酒が全員に行き渡ると、頭領はさかずきを掲げ、城中に響くがなり声で叫びました。
「それでは皆の衆、年若いお客に乾杯!」
「乾杯!」
 山賊たちはさかずきを大きな音を立ててぶつけました。あまりの勢いに、中のりんご酒が飛び散りました。こうして、お祈りもなしに食事がはじまりました。
 王子さまは晩餐のお祈りを省略したことにも驚きましたが、山賊たちの食べっぷりにはもっと驚きました。みんながみんな、肉を取りあい、そっちの皿をよこせと怒鳴り、右手にパン、あるいはさかずきを持ち、左手で肉を掴んで、ひげがあぶらで汚れることも気にせずむさぼり食っているのです。頭領の隣に座った奥さんまでもが、きつそうな美しいドレスをひるがえし、向かいの男といちばん大きな手羽先を引っ張りあっています。いやはや、こんなににぎやかな食事ははじめてでした。
 王子さまがふと顔を上げると、向かいの娘と目が合いました。見事な赤毛を自然に流れるに任せ、身体の線からも瞳からも意志の強さがはっきりと見てとれる、美しい少女でした。指には金の指輪をはめ、手首を金の腕輪が覆い、髪の中から金の耳輪が覗いています。肉汁にたっぷり浸したパンとカリっと焼いた鶏の皮でいっぱいの口に、りんご酒を流し込んで飲み込み、ひと息ついて娘は王子さまにいいました。
「食べないの? 美味しいわよ。取れないんなら取ってあげるわ。鶏と豚、どっちが好き?」
「え、ええと、鶏肉かな」
「ちょっと! お客様が食べれてないわよ! どきなさいって!」
 娘は恰幅のいい男たちの腕を無理やり押しのけ、手羽先を掴みとりました。喧騒の中では彼女の声は届きませんでしたが、お構いなしに邪魔な腕をひっかき、殴り、ひじ打ちを入れて無事に肉を手にしました。
「ほら、これぐらいしたってかまいやしないのよ」
 娘は歯を剥きだして王子さまに笑いかけました。凄味のある笑い方でした。王子さまは力なく笑いました。
 差し出された手羽先を受け取るとき、娘のあぶらまみれの指に王子さまの細い指が触れました。その瞬間、なんだか指先の触れたところがぴりぴりして、頭がくらくらしてきました。甘いりんご酒のせいか、部屋の熱気のせいか、王子さまは急に暑くてたまらない気がしました。
 娘は向かいの席で豚肉を包んだクレープをほおばって、王子さまに食べるのをうながすように微笑みながらうなずきました。そっと手羽先を口に入れると、えもいえぬ味が広がりました。娘のいったことは正しかったのです。たしかにとても美味しい手羽先でした。王子さまは山賊たちにならって、手づかみで食欲のままに食べはじめました。口の周りをソースで汚し、指についたあぶらを舐める王子さまを見て、山賊たちは笑いました。王子さまも声をあげて笑いました。赤ん坊のころですら、こんなふうに汚い食べ方を許されたことはありませんでした。
 たらふく食べて腹が落ち着き、肉をめぐる争いも落ち着いて、勝者も敗者も椅子にもたれかかるころになると、今度は歌と踊りの時間がやってきました。道化の服を着た長身の山賊がつま弾くリュートの音色に合わせて、男たちは食卓の上で足を踏み鳴らし、女たちは下でくるくる回って、みんなが歌って踊りました。王子さまも踊りました。向かいに座っていた娘に手を差し出して踊りに誘うと、まわりからは大きな歓声が沸きました。楽しそうに王子さまの手を取った娘と、うきうきする音楽に合わせて体を揺らし回っていると、いままで感じたことのない幸せな気持ちになりました。王子さまはあまりに楽しくて、目の前がちかちかしました。王子さまを見つめる娘の瞳の中にも、優しく燃える炎が見えました。
 一曲踊ったら、王子さまは早くも眠くなってきました。大変な一日だったのです。案内された客室のわらのベッドの上で、遠く響いてくるにぎやかな宴の音を聞きながら、王子さまは眠りに落ちました。満ち足りた眠りでした。
 つぎの日の朝、王子さまは新鮮なヤギの乳を飲み、パンと炙ったチーズを食べると、麓の町までの道のりを頭領に教えてもらってさっそく出発しました。山を下りる道すがら、昨日の娘とすれ違いました。
「昨日はとても素敵なおもてなしをしてくださって、ありがとうございました。またお邪魔してもよろしいでしょうか?」
「もちろんよ。好きなときに来ていいのよ」
 娘は淑女さながら、ちょっと膝を曲げて上品にお辞儀をすると、ほがらかに笑いながらお城へ駆けてゆきました。無邪気そのものな姿に王子さまも思わず笑顔になりました。
 教えてもらった目印のとおりに山を下ると、太陽が真上に昇るころには麓の町に着きました。王子さまは町の子供たちに家来を探してくるよう頼んで、宝石の嵌っている指輪をそれぞれ与えました。指輪を受け取った九人の子供はすっ飛んで行きました。
 家来が見つかるまで腹ごなしでもしようと、王子さまは町の食堂に入りました。汚れた姿に王子さまだとは気づかなかった食堂の主人も、目の前に白銀の腕輪を目の前に置かれて、口をあんぐり開けて王子さまと腕輪を交互に眺めました。
「これでなにか食い物をいただけないでしょうか。いまはちょうど、えーと、昼飯の時間ですよね」
 王子さまは、口がふさがらない主人をにこにこして見ながらいいます。
「美味しい朝飯はいただいたのですが、朝からずっと歩いてきたもので、腹が減りました」
「はあ……。ただいまお持ちします……」
 主人は首をかしげながら店の奥へと消えました。食堂の客たちも不思議な顔で王子さまを眺めるばかりです。しばらくすると、店の主人はまだ切り分けていないミートパイを持って出てきました。
「すみません、その腕輪ほどの値打ちの食事はうちではとても出せません。あなた様は高貴なお方でしょう。お代はいりませんから、どうぞたっぷり食べてください」
「普通こういったところではお金を払うと聞いています。ぼくはお金を持っていないので、そのかわりですから、受け取ってください。あとで家来に払わせてもいいですし」
 王子さまはミートパイがテーブルに置かれると手短にお祈りを済ませ、獲物に掴みかかりました。主人が置いてくれたナイフと二股フォークには目もくれませんでした。
 手づかみでパイをちぎり取り、熱い中身が手を伝うのも気にかけず美味しそうに食べる王子さまに食堂中が唖然としました。この男はほんとうに高貴な身分なのだろうか? 気でも狂っているのか? 人をからかうのが好きなのか、変人なのか?
 王子さまがパイを半分ほど食べ終わったところで、はぐれた家来たちがぞろぞろ食堂になだれ込んできました。あまりの光景に家来たちもしばらく口がきけませんでしたが、ひとりが意を決して声を出しました。
「王子さま!」
 王子さまは手を止めて家来たちを見ました。口の中のものを飲みこむと、食事で汚れた手をひらひら振りました。
「やあ、心配をかけたね。このとおりぼくは無事だ。きみたちも食べなよ、ここのミートパイは絶品だよ……」
 しかし、王子さまの声は家来の声にかき消されました。
「どうなさったんですか! そんな下品なお食事をされて!」
「お妃さまがご覧になったら卒倒なされますよ!」
「お恥ずかしいことはおやめください!」
 王子さまは困って食堂の主人を見上げました。
「この国では、こういったマナーなんだと思ったのですが」
「いったい誰にそんなことを吹き込まれたのですか?」
 王子さまは後ろを指さしていいました。
「あの山のお城の方たちです。道に迷ったぼくを親切にもてなしてくれましたよ」
 とたんに、食堂にいた連中は腹を抱えて笑い出しました。王子さまは余計に困った顔で、息も出来ないほど笑っている主人に尋ねました。
「いったいどうしたのですか?」
「そりゃあ一杯食わされましたね、王子さま! あいつらお城の方なんて呼ばれるような連中じゃあ全然ない……ただの山賊ですよ!」
 主人はそれだけいうと、また止まらない笑いの中に引きずり戻されてしまいました。
「あんまり笑うなよ。王子さまの命があっただけでも感謝すべきじゃないかね……。それにしたって、山賊と貴族を間違えるなんてな……へへ、あははは!」
「あいつらもあいつらだぜ。貴族のふりして王子さまを騙そうなんて、よく思いつくもんだ!」
 今度は王子さまがぽかんとして、家来がハンカチで口の周りを拭くのにもまったく気づかぬ様子でした。王子さまは赤っ恥をかいたのです。こんな町で知りもしない普通の人々に笑われる日が来ようとは、思いもよらぬことでした。
 しかし、王子さまは気に留めていませんでした。自分の国に帰っても、考えるのはあの山賊の娘のことばかり。王子さまはあまりに娘のことを考えるのに夢中で、朝も夕も食事に出てこず、自室に運ばれるパンをほんのすこし齧るだけです。家来たちは人前で恥をかいたことがよほど堪えたのだろうと噂しました。王と王妃は、突然殻にこもるようになったひとり息子を心配しました。
 考えて考えて、王子さまはこう結論づけました。きっと彼女はおひめさまで山賊に囚われているだけなのだ。だってあんなに自然に金のアクセサリーを身に着けているし、あんなに自然に淑女のお辞儀ができるのですから。それしか考えられません。もちろんそれは間違いでした。
 いま、王子さまがやるべきことはひとつです。おひめさまを助けにゆくのです。すくなくとも王子さまはそう決意しました。そうと決まれば行動です。王子さまはすぐ、信頼できる家来をひとり呼びました。小さいころからずっと一緒で、口が堅く腕の立つ家来です。そして彼に秘密を打ち明けました。
 ふたりは計画を練りました。夜中にふたりは連れだって王宮を抜け出し、厩から上等な馬を盗んで国を後にしました。
 王子さまと家来は途中の森の中で王宮の服をぜんぶ脱ぎ去りました。高価な服は長持にしまって地面に埋め、家来が用意した汚い村人の服に着替えました。月長石の指輪だけは外さず小指に嵌めたままにしました。武器庫から持ってきた長剣と短剣をぼろぼろの鞘に刺して腰に吊るせば、衣装は準備完了です。しかし、まだひとつやらねばいけないことがありました。王子さまの顔を泥と砂で汚すことをためらう家来に王子さまはいいました。
「もっと思い切り汚くしてくれ。服が汚いのに、これでは釣り合いが取れないよ」
「しかしですね……」
「山賊の根城に潜り込むのだから、変に清潔だと目立ってしまう。おひめさまを救いに行くという崇高な使命を果たさなくてはいけないのだからね。さあ、やってくれ。髪も忘れずにお願いするよ」
 お互いを汚しあっているとふたりともなんだか楽しくなってきて、すっかり泥だらけになりました。これならどこからどう見ても王子さまと家来には見えません。ふたりは顔を見合わせてにやりと笑いました。
 ふたりは昼夜馬を走らせました。ようやく山賊たちの城に着いたころには夜も遅くふたりともくたくたになっていました。王子さまは馬を下りて分厚い木の門を叩きました。
「だれだ、だれだ、こんな夜遅くに門を叩くのは!」
「おれたちは隣の国の山賊だ。おまえらのお頭に用がある」
 中から怒鳴る見張りの山賊に家来が答えました。山賊は門を少し開けて隙間から松明で照らして王子さまと家来を覗きました。
「まいったな。とんでもなくきたねえ野郎がふたりも来やがった。うちの連中だってこんな格好恥ずかしくてできないぜ。隣の国はいったいどんだけきたねえんだ」
 山賊はぼやきながらふたりを中に招き入れました。
「おい、ボスに会おうってんなら、そのきたねえなりをまずなんとかしろよ。その前に武器は預かるぜ」
 王子さまがなにか言おうとするより早く家来は長剣を剣帯から外すと、柄で山賊の頭を打ちました。あえなく山賊はその場に崩れ落ちます。
「さあ、王子さま。早くおひめさまの元へ行きましょう」
 ふたりは気絶した山賊の見張りを門にもたれかけさせました。一息ついたところで、もうひとつ明かりが近付いてきました。
「なんだなんだ、何事だ? やけにうるさい音がしたと思ったけどよ」
「なんでもない! 風でなにか飛んできたんだろう」
 暗がりに身を潜めて、王子さまが返します。明かりは納得したようで離れてゆきました。王子さまと家来は肩の力をゆっくり抜いて、ほっと息をつきました。
 ふたりは中腰になって片手で地面を探りながら暗闇の中を進みました。そっと城の扉を開けて、中へと身を躍らせました。
 王子さまはおひめさまの部屋を知りませんでした。それでも、王子さまも家来もお城について、それはそれはよく知っていました。いろんなお城についてです。おひめさまの部屋のありそうな場所なら、お城を見ただけですぐに見当がつきました。
 目的の部屋の扉はなめらかに開きました。ふたりは音を立てずに部屋の中に忍び込みました。机の上には数々の宝石が、天蓋付きのベッドの上にはやわらかなドレスがありました。王子さまと家来は確信を持ってうなずきあいました。なるほど、ここがおひめさまの部屋のようです。家来は宝石をよく見ようと手に取りました。その時です。突然上のほうからごろごろという雷のような音が聞こえました。天井から吊るされていた格子状の牢が落ちてきたのです。雷のような音は滑車で回る重い鎖の音でした。ふたりはまたたく間に囚われの身となりました。
 そして、音を聞きつけた見張りの山賊たちがわらわら飛んできました。かれらは松明の灯りで牢の中の王子さまと家来を照らすと、ぎゃあっと叫んでこういいました。
「どろぼうだああ!! おれらの城にどろぼうが入りやがった!」
 彼らの怒鳴り声は、お城の上から下まで響き渡りました。すぐさま山賊たちが大勢駆けつけました。その中にはもちろん、あの山賊の娘もおりました。彼女は目を覚ました門の見張りがふたりを強くなじっているところでやってきました。周りを詰める山賊たちは、いまにもふたりに襲いかからんばかりです。だれもこの汚いどろぼうが、数日前に一杯食わせてやった王子さまだとは気付いていませんでした。しかし、娘には一目で目の前の汚いどろぼうが王子さまその人だとわかったのでした。それとわかると、娘は血に飢えた山賊たちをなだめすかしたり脅したりして、無理やり追い払ってしまいました。山賊たちの姿が見えなくなると、彼女は顔を近づけて王子さまをまじまじと見つめました。
「王子さま、なんだってまたこんなところに? それにその泥だらけの豚みたいな汚い格好はいったいなんなの?」
「ああ、ぼくはあなたを救いに参ったのです」
 はじめはただただ呆然としていた娘は、王子さまが説明しおわると途方に暮れてかぶりをふりました。
「あたしはそんなんじゃない……王子さまが考えるようなおひめさまじゃないわ! ただの山賊の娘よ! あんたを騙して笑ってた山賊の仲間なの!」
 王子さまの衝撃はとてつもないものでした。それでも混乱のすえに、王子さまはこう言いました。
「もしあなたがぼくを愛しているなら、山賊の娘じゃなくてぼくのおひめさまになってくださりませんか?」
「あたしを許してくれるの?」
 そうしてふたりは恋人同士の話をしました。人生で最良の、真実の会話のひとつです。甘いささやきが落ち着くと、今度は家来も交えて今後どうするかを話し合いました。
 山賊の娘はこっそり王子さまとその家来を逃がしました。王子さまは別れ際に娘に月長石の指輪を渡しました。ふたりを無事に城から逃がすと、その足で両親のもとに向かいました。彼女の父親はこの山賊団の頭領でした。
「パパ、ママ。あたし、結婚したい人がいるの」
 頭領とその妻はひどく驚きました。
「なんだって? おまえがかね。それはいったい誰なんだ? ハンサムなゴロッシュか? 金持ちのルドードか? 屈強なバラディか、頭のいいリロンか、歌のうまいあの優男、レクサムか?」
「どれでもないわ、パパ。あたしが結婚したいのは、うちの城に盗みに入った男よ」
「なんだって? あの不潔でボロボロでいやなにおいのする、どこの馬の骨とも知れないクズにおまえをやれというのか? あのくそ男を俺の跡継ぎにしろと?」
「ああ、あんまりよ、わたしのかわいい子」
 娘の母は絶望のあまり涙を流しました。父は怒りで額に青筋を浮かべました。
「彼がどこの馬の骨か、あたしは知ってるわ。あれは隣の国の王子さまよ。あたしに求婚しに来たの」
 両親の動揺ぶりはすさまじいものでした。父はなんとか思いとどまらせようと、つぎに貴族の屋敷を襲撃したあかつきには、捕まえた令嬢たちを全部娘の召使にしてやるといいました。娘は首を縦に振りません。父はまた、奪った宝石も全部おまえのものだといいました。娘は首を縦に振りません。襲撃を任せ先陣を切らせてやるといいました。娘は首を縦に振りません。貴族にとどめを刺す権利をやろう、その頭蓋骨で杯を作ってもいいといいました。娘は首を縦に振りません。つぎの戦いの計画は全部おまえにゆだねる、どれでも好きな貴族を殺していいといいました。娘は首を縦に振りません。普段であったなら喜んで父のいうとおりにしたでしょう。今度ばかりは、なんといわれても首を縦には振りませんでした。
 とうとう両親は音を上げて、娘が本気であることを認めました。こうなったら娘が梃子でも動かないことはわかっていました。
 頭領とその妻は娘のために最高の職人を呼び寄せて、婚礼のドレスを作ってやりました。貯めこんでいたふたりの財産が、城と部下たちと家畜を残してほとんどなくなるくらいです。手下の山賊たちも、娘の幸せのためならばと多くの私財を投げうちました。町の人々は娘の婚礼のために飾りを作ったり宝石を買ってきたりレースを編んだりするために、山賊に雇われました。みんながてんやわんや大忙しで、こんなお祭り騒ぎは町ができてからはじめてでした。
 いっぽう、王子さまとその家来は馬を走らせました。川で水浴びをして汚れをきれいさっぱり洗い落とし、森に埋めた長持を掘り起こして衣装を着替え、完璧に普段の姿に戻りました。
 王子さまとその家来が王宮に戻ると、王と王妃は無事に帰ってきた息子を抱きしめ、不在を優しく叱責なされました。王子さまの父はいいました。
「息子よ、おまえがそういつまでもふらふら遊んでばかりなのはいかん。わが民に示しがつかんぞ。そこで今度、おまえのために祝宴を開こう。招待した客の中からおまえにふさわしい高貴な女性を娶るのだ」
「そうよ、いい気晴らしになると思うの。国中から、いいえ、外国からだって、あなたに見初められようと美人がたくさん集まるわ」
「なんですって!?」
 王子さまにはまったく寝耳に水でした。
「いやですよ、そんな祝宴だなんて。高貴なご令嬢もたくさんです。どんなに美しい人であろうと、ぼくは月長石の指輪をした娘としか会いませんからね!」
 王子さまの声は王宮中にとどろきました。ですから、王宮から城下町へ、さらに遠くの町へ、はては国外にまで、噂が伝わってゆきました。“今度の祝宴で王子さまに会うことができるのは、月長石の指輪をしている娘だけだ”と。もちろん、宮殿から招待状が届いた貴族の娘や金持ちの娘たちはこぞって月長石の指輪を買い求めました。
 祝宴の日になっても王子さまの心は晴れませんでした。王宮も民もみんなうきうき楽しんでいるのに、当の王子さまは王と王妃と一緒に玉座に座りながら、ちっとも楽しそうではありません。どんな偉い名士があいさつに来ようとも、どんな美味しいごちそうが運ばれてきても、道化がどんなおもしろい芸を見せても、聴いた人みんながにっこりする音楽を聴いても、鮮やかな衣装に身を包んだ人々が華麗なダンスをしていても、いちどだって笑うことはありませんでした。王と王妃は息子のいつもと違う姿に顔を見合わせました。
「ねえ、どうしたのそんなつまらない顔をして。でもきっとこれからは、あなたも気に入るわよ」
「おまえに一言あいさつしようと、これだけ美しい女性が来ておるのだ」
 王子さまが顔を上げると、大勢の娘たちが列をなして王子さまの前におりました。
「そんな、お父様。言ったじゃないですか、月長石の指輪をしている娘としか会わないと!」
「しているだろう」
 一番前の娘が恥らいながら右手の手袋を脱ぎました。人差し指には、たしかに月長石が輝いています。列の後ろの娘たちもみんな、指輪をした手をよく見えるように掲げました。月長石のやわらかい輝きが集まり、広間に灯ります。それを見た王子さまはすっかり途方に暮れてしまいました。
 そのときちょうど、王宮の前に上等な馬車が着きました。馬車の扉が従者によって開けられると、中からびっくりするくらい美しいおひめさまが降りてきました。見事な赤毛を結い上げて真っ赤な絹のドレスを纏った、どこからどう見ても正真正銘の異国のおひめさまです。名士や貴族たちも、見たことのない不思議な魅力を放つおひめさまに呆然として見とれています。
 美しいおひめさまがゆっくりと歩みを進めると、周囲の人々はじりじり退き道を開けるのでおひめさまはなにものにも邪魔されずに歩くことができました。ですから、王子さまにはおひめさまがよく見えました。王子さまには一目でこの美しい高貴なおひめさまがあの山賊の娘だとわかりました。思わず立ち上がった王子さまを、山賊の娘も見てとりました。ふたりは微笑みあいました。
 会場中が呆気にとられるなかでひとりの優秀な召使がはっと正気に返り、王子さまの元へ向かおうとするおひめさまを慌てて呼び止めました。
「お待ちください、おひめさま。ええと、そのう、どちらさまでいらっしゃいますか? 馬車に紋章がないようですが……」
 おひめさまは召使のほうへ向きなおると、胸を張って高らかに答えました。
「あたしは山賊のおひめさまよ!」
 広間がしんと静まり返りました。そして一瞬ののち、爆笑の轟音で包まれました。その場にいる、貴族も名士も淑女も従者も兵士も料理人も道化も、食事のおこぼれにあずかりに来た犬さえも、笑って笑って笑い転げました。山賊のおひめさまだって? そんなばかげた話は聞いたことがない!
 王子さまはひとり進み出ておひめさまの手を取ると、これまた大笑いしている王と王妃の元へおひめさまを連れてゆきました。いままで嘲り笑っていた名家の令嬢たちの顔が怪訝な困惑にとって代わってゆきます。
「お父様、お母様。ぼくはこの方と結婚します」
 王と王妃は口を大きく開けたまま目を剥きました。山賊の娘が手を差し出すと、王子さまはその武骨な手から指輪を抜き取りました。
「見てください、ぼくの月長石の指輪です」
 父と母が顔を近づけて何度見ても、そこにあるのは王家の家紋が刻まれた、たしかに王子さまの指輪でした。
「なにをいっておるのだね息子よ……」
「そうよ、いったいなんの冗談なの? お父様とお母様をこんなに困らせて」
 王子さまは山賊の娘と手を繋いで、真面目な顔でいいました。
「冗談ではありません。彼女は山賊ですが、ぼくたちの間には真実の愛があります。それなのにどうして結婚したらいけないのですか?」
「しかしだな」
「お父様とお母様がどうしても反対なさるというのであれば、ぼくが彼女の家に山賊の王子さまになりに行きますよ」
 ついには王と王妃も息子の結婚を認めないわけにはいかなくなりました。そうして王子さまと山賊の娘は結婚しました。ふたりはいつまでも仲良く、異なる出身同士で力を合わせて国を治めたので、ふたりの王国は豊かで平和になりました。食べるものに困る民はだれひとりとしておらず、もうけっして山賊になる者もいなかったそうです。

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