5. インスラ宮殿


 ターとマリージェルは広間でさんざん待たされたあげく、王の侍従が持ち帰ったのは一言だけだった。
「晩餐後にお会いになるそうです」
「なによ、それ! 普通、食事の時に顔を合わせるでしょ!」
「まあまあ、姫、私たちは疲れているうえ腹もぺこぺこですから、食事をしながらおしゃべりはできないでしょう。いいじゃないですか。それまでゆっくり休めますよ」
「うーん、そういわれると、そのとおりなのよね」
「それでは、こちらへ」
 ふたりはそれぞれ客室に案内された。ふたりともベッドに倒れこんでぐっすり眠った。晩餐に呼ばれるまでに、眠って体を洗って用意された新しい服に着替えた。
 いくつかある食堂のひとつにふたりは案内された。王とその家来が取る晩餐とは別の場所が必要だったのだ。ふたりが着替えて再び会ったとき、あまりの見違えように、お互いびっくりして目を見張った。ここ何日か土埃にまみれた汚い姿しか見ていなかったので、見違えるようだった。マリージェルは純白のドレスを着て、冠も磨かれ、栗色の髪も櫛で梳かれて元のふんわりした様子に戻っていた。ターは相変わらず質素なシャツを着ていたが、顔の泥も落ち、城勤めの清潔な騎士にしか見えなかった。
「ター、あなたって意外と男前ね」
「姫も、姫らしくなりましたよ」
 料理が運ばれてくると、ふたりはそれ以上口がきけなかった。目の前の食べ物を詰め込むことで精一杯だった。
 食後の菓子まで平らげると、再びさきほどの侍従が現れて、王のもとへと案内した。謁見室で王を待ちながら、マリージェルはターに耳打ちした。
「今更だけどさあ、さっきの食事、毒とか入ってないよね?」
「さすがに他国の姫君を毒殺はしないんじゃないですかね。それ、王の前で言わないでくださいよ。無礼だと怒られると思いますから」
「まっ、ターが大丈夫っていうんなら大丈夫ね」
 マリージェルはターの背中を軽く叩いた。彼女が緊張しているのが目に見えてわかった。どうにかして落ち着かせてあげたいと思ったが、ターが声をかける前に、オゾマトゥララーンシスが入ってきた。
「おお、かわいいマリージェ! 久方ぶりだな」
「わたしの名前はマリージェル!! 最後のルを忘れないで」
「そしてこっちはわが元騎士か。追い出してもう顔を見ることもあるまいと思っていたのが、従姉妹にくっついてまた来よるとはな」
「お久しぶりです」
 王は目を細めて、跪くターを眺めた。黒を基調として金の房飾りが飾られた上着を着、城壁を思わせる銀の王冠を被った長身の王は、どことなくマリージェルに似ていた。
「まあいい、立て。長ったらしい挨拶は結構。用件を聞こうか」
「ターの呪いを解きなさいよ! あと、わたしの記憶も返して!」
 マリージェルはもう緊張が吹き飛んでいた。眼光鋭く睨みつけながら、王に詰め寄った。オゾマトゥララーンシスは笑った。
「こいつの呪いは自業自得だ。それよりお前、自分も呪いにかかっていることには気づいたのか。良い兆候だな! だがそんなもんじゃ、自力であの塔を出たわけではないな」
「ターが助けてくれたのよ! 大体、あの塔は自力じゃ出られないようになってたじゃない」
「なに、かつてのお前なら、一日と掛からずに出られたさ。やはり、忘れてしまったんだな」
「あんたの名前を?」
「ははは! そうだな。そうだ、良いことを思いついた。マリージェ、お前がこいつの名前を思い出したらそいつの呪いを解いてやってもいい。この分じゃお前がすべてを思い出すことはないだろうからな」
 王は騎士を指し示した。マリージェルは困惑して王を見つめた。
「彼の名はターでしょ?」
「いいや。それは愛称だ。本当はお前が覚えていられそうにない名前さ。俺の名と似たようなもんだな」
「わたしは古今東西、あらゆる本に載ってた魔術を知ってた……はず! もし全部思い出したなら、あんたなんかに頼らずとも、呪いの解き方を片っ端から探し出して、彼に教えることくらいできるはずよ」
「思い出したならな。だが、お前が解き方を教えたところで、こいつが自分でかかった呪いを自分で解けると思うか? 力及ばず己の魔術に喰われた男だぞ」
 マリージェルは振り返ってターを見た。その顔は絶望でいっぱいだった。たまらず、ターは進み出た。
「待ってください。私は確かに私の呪いを解いてほしい。いままでそれだけを胸にクロリラーナを目指していました。ですが、姫と共に旅すると決めた時点で、目的は姫の呪いを解くことになったのです。ですから……」
「ちょっと! やっぱりわたしが呪われてたって知ってたのね! どういうことよ!」
 嘲りを顔に浮かべながらターの嘆願を聞いていた王は、マリージェルが割って入ると、声を上げて笑い出した。
「言ったって信じんだろうさ」
「なによ、みんなして隠し事して。ひどいよ! わたしは何を忘れてるの?」
「お忘れですか、この剣を。もとは私のものでしたが、追放されたときに陛下に没収され、どことも知れぬ遠くの国へ売られたものです。取り戻すのは大変でした」
 ターは剣を鞘ごと外して姫の目の高さに掲げた。柄頭に嵌めこまれた緑色の宝石は謁見室の明かりに触れ、光がマリージェルの目の中でくるくる踊った。

 「許さんぞ貴様! 俺の城でこそこそと……!」
 「私はどうなっても構いません。どうか姫のことだけはお許しください!」
  マリージェルは彼の剣を抱きしめて叫んだ。本で読んだ呪文が口から滑り出る。柄頭の宝石が内から光を発し始めた。
 「やめて、オゾマ! 忘れて! この剣にかけて! お願いよ、殺さないで……彼を……」

「タークセヴァルニクスを!」
 灰色の記憶の中からマリージェルは叫んだ。しばらく呆然としていたが、ゆっくりと目を閉じると、微笑んでターに向き直った。
「あなたが助けてくれるって、わかってたわ。忘れていても……」
「マリージェル様……!」
 ふたりは抱き合った。三年前、ふたりは恋人同士だった。オゾマトゥララーンシスは彼らの仲を知ると激怒して、騎士の首を刎ねようとした。咄嗟に、マリージェルはターの剣を用いて、自分たちのことを忘れさせる魔法をかけようとした。しかし、力及ばず、自分が多くのことを忘れてしまった。彼女に免じてターは処刑だけは免れたが、国から追放された。
 本当の意味での再会を喜び合うふたりに、王が声をかけた。
「こいつが剣を取り戻したとは知らなかった。俺は約束は守る男だ。そいつの呪いを解いてやろう」
「結構よ」
 王の動きがぴたりと止まった。顔が微妙に引きつるのを見て取って、オゾマトゥララーンシスが怒り狂いだす前触れを感じて、ターは身構えた。
「ターは、彼の顔を見て、わたしに彼を思い出してほしかったんでしょう。そして、その魔法をあんたがターに教えた。これ以上わたしたちのことに顔を突っ込まないで! わたし、魔法は嫌いだけど、なんとかして彼の呪いを解くよ。……小さいころ、最初にオゾマトゥララーンシスに魔法を教えたのは、賢ぶったわたしなんだし」
「そうか……そこまでいうのなら……」
 王は大きく息を吸い込んだ。ターはマリージェルを背中に庇った。
「とっとと俺の国から出ていけ!! 二度とそいつを俺の視界に入れるな! さっさと行かないと、いくら従姉妹といえどお前にも罰をくれてやるぞ、マリージェ!」
「マリージェルだってば!」
「早く行きましょう」
 ターはオゾマトゥララーンシスに応戦しようとするマリージェルの手を取って謁見室から走り出た。そのまま外まで走って、厩舎でふたりの馬に馬具をつけ、クロリラーナを出た。
 馬が許す限りの速度でふたりはラテルナに戻った。ふたりの帰りを祝う祝宴はすぐに結婚式へと変わった。
 ターとマリージェルはともに国を治めた。かれらは公正な政治をしたので、ラテルナはより豊かに繁栄した。ターの呪いは何年かたって解くことに成功したが、彼が王位を息子に譲った後でも、彼の肖像には名君の証として、光り輝く後光が描き入れられた。
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