1. 囚われの姫君


 その騎士がラテルナ王国の城門をくぐったのは、博識をもって知られる姫君の知恵を借りるためだった。
 国王はそれを聞くと困った様子で話しはじめた。
「わが娘は隣の国の王、オゾマトゥララーンシスを怒らせて塔に幽閉されておるのじゃ。彼は魔法使いでな、塔には魔法がかけられておるらしい。娘も物知りとは言われておるが、どうにも中からは開けられぬそうだ。娘を救いに人をやったりしたのじゃが、みな手ぶらで帰ってくるばかりなのだ」
「それでは、私が行って姫を救い出せるか、ひとつ試してみましょう」
 幸い塔はそう遠くはなかった。騎士はすぐに愛馬に跨り駆け出した。
 騎士は半日馬を走らせた。だんだんと近づいてくる、天高くそびえる塔の一番上に、人影が見えたような気がしたが、真下まで来るとそこには誰も見えなかった。
 この塔は、高い塔ばかりを作った魔法使いの作品の一つで、隣の国の王が手に入れるまで、長い間、使われていなかった。
 騎士が塔を見上げて佇んでいると、鉄板を叩く音がした。騎士は裏手に回った。裏側には、鉄でつくられた扉があった。厳重に鎖が巻いてあり、いくつも錠前が下げられている。
「わたしを助けようと幾人もの勇士がやってきたけれど、だれもわたしをここから連れ出せなかった。だからわたしは、彼らの名前をみんな忘れてしまったの。あなたの名は?」
 姫の声だった。扉の向こうからくぐもって聞こえる。
「ターとお呼びください」
「ターね。わたしを助けに来たの?」
「ええ」
「いろんな騎士がいろんなことを試したのよ。長いはしごは、塔の壁にかかった魔法に跳ね返された。穴を掘って地下から塔に道を作ろうとしたら、床下の岩がびくともしないで邪魔をする。塔自体を壊そうとしても、大工道具が欠けるばかり。この扉はだれがどんな手を使っても、うんともすんともいわない。それで、あなたはこの次になにをするつもり?」
 そこで騎士は自分の案を明かした。相談したとおり、姫が塔にたったひとつある小さな窓から頭を出すと、騎士は道を少し戻った場所で、馬に乗って待っていた。大きな黒い帽子をかぶった、全身黒い服を身にまとい、黒い馬に乗った不思議な騎士だった。
 金の冠を被った姫が、騎士が頼んだよりもずっと、危なげに身を乗り出すと、馬は稲妻のように駆け出した。そして、窓に向かって跳び上がった。
 馬は空飛ぶように高く跳んで、ついに窓の高さまで達した。姫が手を伸ばし、騎士は姫を抱きとめた。すると途端に落下が始まり、馬は静かに降り立ったが、ふたりは着地の衝撃で、馬の背の上で高く弾んだ。
 騎士は姫を愛馬に乗せて、自らは馬を引いて歩いた。たぐいまれな騎士の馬は、おとなしく姫を乗せた。
「外に出られるって最高! いったい何十日ぶりだろう。足の下に土があるってわかるのは、素晴らしいことね。でも、あの塔もなかなか居心地がよかった。夜通し寝ずに本を読んでても、おかしばっかりを食べてても、だれも怒る人がいないんだもの。お城に帰ったら、そうはいかないのが残念だな。あなたと結婚しなくちゃいけないし」
「結婚ですって!?」
 静かに姫の言葉を聞いていた騎士は、驚いて声を上げた。姫は首をひねった。
「父さまがいってなかった? わたしを助け出した騎士には、わたしと王国の半分をあげるっていう約束だったんだけど。じゃあ、あなたはなんのためにわたしを助けたの?」
「私は、あなた様のお知恵をお借りしたかったのですが……」
「そうだったの。いったい、なんの問題?」
「私は呪いをかけられておりまして、その呪いを解く方法をお伺いしたく参りました」
「呪いをかけた人になら解けるでしょう、もちろん」
「それが、こうなってしまったのは私に責任があるのです」
 姫は即座に答えた。
「それじゃあ、あなたは力量以上の魔法を使おうとしたのね」
「そうなのです」
 ターはうなだれた。大きすぎる願いを魔法で叶えようとすると必ず報いを受ける。それは悪しき魔法と一緒くたに、ただ呪いと呼ばれていた。数多くの魔法を知りながら決して使おうとしない姫には、よくわかっていた。
「あなたはその魔法をどこで知ったの?」
「ある魔法使いに、教わりました。私の望みを叶えるには、これしかないと」
「そんな奴がいるの? 誰がそんなことしたの?」
「クロリラーナの王です」
 姫は腹を抱えて笑った。彼女が体を揺するので、その下で馬が迷惑そうに鼻を鳴らした。
「わたしを閉じ込めた奴じゃない! 邪悪で、冷血で、非道な王! オズマ……オズ……なんだったっけ」
「オゾマトゥララーンシス」
「そうそう、それ。だいたい、長すぎるのよ、名前が! わたし、あいつの名前を間違えたから閉じ込められてたの。短気な魔術師め!」
 姫が腕を振って罵る。
「あなたがあいつのところに行くなら、わたしも着いて行く。言いたいことを言ってやるの」
「そんな、お止めください」
 騎士は慌てて言った。その彼を姫の子供っぽい顔が睨みつける。
「せっかく姫がご帰還されるのに、すぐまた行ってしまわれるのでは、お父様や国民が悲しまれますよ」
「あなた、わたしの知恵を借りに来たって言ったよね? わたしはクロリラーナへ行く道を知ってる。あの道は危険なの。わたしと一緒に行けば、無事に向こうに着けるのよ」
「それでは、尚更ですよ! 姫を危険にさらすなどできません」
「知っていれば危険じゃないもの! だからあなたにはわたしが必要なの!」
 ふたりは城が見えるまで言い合ったが、結局ターは、姫が一緒に行くことをしぶしぶながら承諾した。
 ふたりが城下町に入ると、その後に喜び騒ぐ住民が数を増しながらついてきた。かれらの浮かれ騒ぎように城の住人もすぐに気が付き、姫が城門を望んだときにはすでに王が待ち構えていた。
「マリージェル!」
「父さま!」
 姫は馬から飛び降りると、父の腕の中へ駆け込んだ。それからはもう、ほんとうのお祭り騒ぎだった。王は城下町の住民全員にただで食事と酒をふるまった。
 日が沈んだころ、姫の救出を祝うこの宴で、いつの間にかターがいなくなっていることにマリージェルは気が付いた。ターは休みたいといって客室に閉じこもっていた。マリージェルはなんとか人の輪から抜け出すと、焼き立ての七面鳥を片手に持って花輪を首にかけられたまま、ターの部屋の扉を叩いた。
「ター、あなたは主役の一人なのよ。少しくらいみんなに顔を見せたっていいじゃない。あなたのあの素晴らしい馬だって、笑顔を振りまいて民に人参をもらってるんだから」
「いま、見せられない顔をしているもので……」
「たいした顔じゃないのは知ってるよ。父さまだってきっと、あなたのこと探してる。褒美のことを話さなくちゃ」
「それが、いまはたいした顔なんですよ。ほら」
 扉が開き、ターが姿を現した。その顔は、顔自らが光を発していた。思わず、マリージェルは笑い出した。
「たしかに、たいした顔ね! 光る顔なんて見たことない!」
「これが、私の呪いなのです」
 マリージェルは王を連れて来て、三人は話し合った。当然ながら、王はマリージェルが騎士と共に行くことを激しく拒否した。しかし最後には、娘は父を説得してしまった。
「わかっているだろうが、ターよ、どうか娘を頼む。わしにはこの子しか子供がおらん。マリージェルにはいずれ、この国を統治してもらわねばならんのだ。必要であれば、軍もつけよう」
「父さまはいつも心配しすぎなのよ。兵隊なんて連れてったって、なんの役にも立ちゃしない。忘れてない? わたしは何度もあの道を通ってクロリラーナまで行って、無事に帰ってきてるんだからね」
「私の命に代えても、姫をお守りいたします」
 王はターと彼の剣に祝福を与えた。そうして、翌日の朝早く、騎士と姫はそっと城を出た。

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