星の子どもたち


 ゲルディア平原にはかつて神がいた。神々は人に混じって暮らしていた。しかし、時が過ぎるうちに人の思考が神々の想定したものとは逸脱していったので、両者は互いを理解できなくなっていった。ついに人々は神の言葉を忘れ、神々は人の世界を離れて天上へと姿を消したのだった。こうして人は神を失った。神に見捨てられた土地だ、とグリンエリンの民はいう。

◇◇◇

 ツォベイラはそっと占い館から抜け出した。本来ならば許されることではないはずなのだが、星の子たちも指南役さえ自然に受け入れていた。特別月の明るい夜は、月が彼を連れだすと。気が触れるのだとまでいう舞い手もいた。ツォベイラはただ眠れないだけだった。
 グリンエリンを囲み覆い隠さんばかりの林を抜ける。月が照らしていても林の中は暗い。その暗闇をツォベイラはつまずきもぶつかりもせずに、すいすいと進んでゆく。持って生まれたすみれ色の瞳は夜目が利くのだ。しかしその様は夜行性の動物のようで、なにかに取り憑かれているようにも見える。たしかに、彼は風に取り憑かれていた。
 ツォベイラは眠れない夜、よくこうして館を抜け出てグリンエリンの外をうろついた。ゲルディア平原にしばしば吹く強風から街を守るために、グリンエリンの周りは林で囲まれている。彼は風の吹かぬ街を窮屈に感じることがあった。何か心がざわつく夜はことさら、風に当たり本物の星々の光を浴びたいと思うのだった。
 林を通り過ぎ、ゆるやかな坂を上ると、ゲルディア平原に出た。かつて神々が人と共に暮らしたというこの場所は、夜の闇に沈んでいた。地上を離れ天に上った神々の顔とされる、星が地上を見つめまたたいている。月はいつもより明るく青白く光っていて、これから欠けていくばかりの最後のきらめきのように思えた。ツォベイラが知っている平原の姿はこれだけだ。昼間に来たことはない。無限に広がる星空のもと、風を浴びて深呼吸した。新しい空気を体に取り込むと、悩みを抱えた人のように、あるいは月に導かれて、彼はその場を後にした。

「星の子がいたよ!」
 天幕に入ってくるなり、タディオはそういった。彼の両親が顔を上げる。
「本当に」
「わしの言った通りじゃろう」
 彼の祖母は満足そうにうなずいた。傍らで木のランプを彫っていた少女が鋭い一瞥をくれる。
「それで、その本人はどこにいるのよ」
「連れてきたよ。寝てたんだ。中に運ぶから寝床を用意してくれないか」
 彼は言うなり外へ飛び出した。

 ツォベイラが目を開けたとき、いつの間にか占い館に戻ったのかと思った。だが、見覚えのない白い天井だ。ぎょっとして起き上がる。もう日が昇っていた。こんなに寝たのは久しぶりだった。辺りを見回したところ、ここは見たことのない厚い布地で作られた四角い一つの部屋で、壁には地面に敷いてあるものより色彩豊かで複雑な模様をした絨毯が掛けられていた。枠を彫ったばかりのランプや陶器の壺など、生活雑貨がごちゃごちゃと壁際に寄せてある。唯一と見える出入り口から外に出た。
 ゲルディア平原が広がっていた。はじめて明るいうちにこの広大な平原を眺めることは、ツォベイラにとって味わったことのない驚きだった。地平線まで見渡すばかりの草原が続き、左手には薄ぼんやりした山々が連なっている。夜中にしばしばうろつくこの草地がこんなにも広いとは、こんなに広いものがあるとは思いもよらなかった。
 彼がこの光景に心奪われていると、すぐ近くで声がした。少年が火の前に座って鍋をかき回している。顔はこちらに向けられていて、手招きしていた。
「おはよう。よく眠ってたね」
「君は誰だ? それにここはどこだ?」
「まあまあ、まずは朝食にしようじゃないか。質問はそれからだよ」
 鍋からはいい匂いがしていた。ツォベイラは空腹には勝てず、少年の向かいに腰を下ろす。しばらく周囲を眺めていると、熱い椀を押し付けられた。
「星の子の口に合うかはわからないけど、どうぞ」
 星の子、という単語に反応して、なぜそれを知っているのか口に出しそうになったが、代わりに椀の中のものに意識が移った。
「なんだ……これは?」
「木の実のスープだよ。干し肉もあるよ」
 灰色をしたスープはあまり美味しそうには見えなかったが、たいして味はないものの異国の香辛料が利いて意外と飲めるものだった。木の実自体は固く、良い味ではないが、腹にたまる。ツォベイラはありがたく干し肉を受け取った。
「干し肉も不思議な味だな。普段食べる豚の塩漬けと違う」
「ああ、それは羊の肉だからね。おれたちは羊飼いなんだ」
「羊ってなんなんだ?」
 少年はスープを飲む手を休め、まじまじとツォベイラの顔を見つめた。
「知らないんだ。星神が羊をさずけてくださったはずなんだけどな。まあいいや。いまは父さんが羊の番をしてるから、帰ってきたら見せてあげるよ」
 食べ終わると、少年は立ち上がって椀を鍋に重ねた。
「この先に小川があるんだ。そこでこいつらを洗おう。きみは顔を洗ったらいいよ。行く道々きみの質問に答えるから。おれはタディオっていうんだ」
「わたしはツォベイラだ」
 彼も立ち上がった。
「じゃあ、まずなにから答えようか」
「ここはどこなんだ?」
「ゲルディア平原北東部っていえばいいかな。でも昨日、君をもう少し東のほうで見つけた。寝てたんだよ、恐ろしいことに」
 たしかに、ツォベイラは歩くのに疲れると寝転んで星を眺めるのが常だった。そのまま眠りこけたのもあり得ない話ではない。
「この季節でも狼が出ることがあるからね。放っておくのもまずいと思って、うちの野営地まで運んできたんだ」
「そうだったのか。それで、タディオ、君はわたしを知っているのか?」
 タディオは横目でツォベイラを見やった。人懐っこい顔から笑みが消え、思案する顔になる。
「だって、君はわたしを星の子といっただろう」
「おれのばあちゃんがさ、星の子が落ちてくるって、星占いで出したんだよ。それで、占いで出た場所に行ってみたらツォベイラがいたんだ」
「君たちも占いをするのか」
 ツォベイラは興味を引かれてタディオを見つめた。自分たちとはまるで違うように思える彼らの意外な共通点を見つけた驚きに目を丸くした。タディオはツォベイラがおかしなことをいったみたいに笑った。
「このゲルディアに住む人間で、天を仰いで星神に己が運命を問わない人たちはいないよ」
「そうなのか」
「そうだよ。ゲルディアの平原に住む人間たちは元々一緒に暮らしてたんだ、神様とも一緒にね。平原の端に住んでようが、真ん中に住んでようが、おれたちみたいに旅してようが、崇める神々は同じだよ。それで、おれたちはゲルディアで羊を連れて旅してるんだけど、大体の道順は毎年同じなんだ。でも、詳しい道順は星に聞いて決めるんだよ」
 その後、洗い物から天幕に帰るあいだじゅうずっと、タディオはツォベイラに彼らの星占いの方法を説明していた。はじめて聞く占いにツォベイラは始終圧倒されて相槌を打つことしかできなかった。
 帰り道も半ばに差し掛かったところで、タディオはふと口をつぐんだ。そして、「ばあちゃんたち、帰って来たな」とつぶやいた。ツォベイラは首をかしげたが、天幕に近付くにつれ、タディオの言った意味が分かった。なにやら歌が聞こえてきたのだ。
 天幕に帰ると、少女が小動物の皮を剥いでいた。彼女はタディオを見つけるなり、歌いやめて短剣を彼に向け怒鳴った。
「ちょっと、タディオ! また、火消すの忘れたでしょ!」
「やばっ」
 タディオは焦った顔で鍋を煮ていた、土がむき出した場所に向き直る。
「もうとっくに消したわよ!」
「わー、ごめん」
「まったく、勘弁してよね」
 目つきの悪い少女はそれ以上なにもいわず、再び皮を剥く作業に戻る。またその口から歌が滑り出た。
「昼は風を読み
 夜は星を追う
 われらは空ばかり見上げている」
 平原の端から端まで響き渡らせることもできそうな、素朴で力強い歌声だった。ただ今は自分に歌い聞かせるごとく、小さな声で口ずさんでいた。星の子の美しく澄んで震える歌声とは全然違う。ツォベイラは繰り返されるその歌の拍子に合わせて心臓が高鳴り胸を打つのを感じた。
「彼女はマティルダ。おれのいとこだよ。マティルダ、彼はツォベイラ。それにしても、今日もウサギが捕れるとは上々だね」
「あんたのかあさんはゲルディアいちの罠猟師よ。今夜はシチューにするわ」
「でも罠じゃあ、きみんちみたいに鹿狩りはできないさ」
「もうちょっと大きい罠を作れば、鹿だって捕れるわよ。なにもむさくるしい男どもが大勢で狩りに出かけなくたって」
 タディオとマティルダはおしゃべりに興じている。ツォベイラは少しの間放っておかれて、家ともいうべき占い館から勝手にいなくなり、起きた仲間がみんな心配しているだろうことをやっと思い出した。思い出した途端に冷や汗がにじみ出る。ためらいがちに二人の会話に割って入った。
「あの……、夜中に眠っているところを助けてくれたのは、本当に感謝している。だけど、わたしはそろそろ帰らなければならない。夕方までには、グリンエリンに戻らないと」
「グリンエリンだって!?」
 タディオとマティルダはたいへんな驚きようで、声をそろえて叫んだ。
「あんた、星の子じゃないの? グリンエリンって、地上の街よ、街」
 街、という単語に嫌悪をこめて、マティルダは顔をそむけた。
「君たちはゲルディアを旅しているそうだが、グリンエリンに立ち寄ったことはないのか?」
「父さんと母さんが、チーズや羊毛なんかをいろんな食べ物と交換するのに付いて行った数回くらいしかないなあ。おれたちは家持つ民とはあまり関わらないから。しかし、なんでまた、グリンエリンなんだ?」
 今度はツォベイラが驚く番だった。とはいっても、彼の驚愕は少しだけ見開かれた眼に見いだされるだけだった。
「なぜって、わたしはグリンエリンに住んでいるからだ。君たちはグリンエリンの占い館に住む星の子のことを言っているのだと思った」
 タディオとマティルダは顔を見合わせた。
「グリンエリンに星の子が住んでる? こんなの前代未聞だよ。ばあちゃん!」
 タディオは天幕に呼びかけた。
「聞いとったよ。おまえたち、中に入っといで」
 天幕の中からしわがれた声が届く。彼らは中に入っていった。
 中には一人の老婦が中央に立つ柱に寄りかかって座っていた。日に焼け髪は白いが、背筋はぴんと伸びて瞳には光が宿っている。まだ目も耳もしっかりしていて、無骨ながら独特の気品がある、タディオの家の最高権力者だった。
 彼女の前にマティルダが腰を下ろそうとすると、タディオの祖母は声を朗々と張り上げた。
「マティルダ! おまえはウサギを捌くのが先だよ! 捌いて、毛皮を干して、肉の下処理をしたそのあとなら、おしゃべりしに来てよろしい」
 マティルダはあきらかに不機嫌な態度で出て行った。
「さて、ツォベイラといったかね。星の子よ、グリンエリンの暮らしを聞かせてもらおうか」
「わかった。わたしはグリンエリンの占い館に暮らしている。占い館に住んでいる若者をひっくるめて星の子と呼ぶ。わたしは星の子の中でも舞い手という役職だ。占い館では毎晩、舞い手たちが星占いを行う。われらの星占いの儀は、タディオの話してくれたあなたたちのやり方とは全然違って、星図も数字も用いない。われらは音楽で星神を奮い立たせ、自分の体に降ろすのだ。星神が舞いと歌で、占いを、予言を、われらの体を通して行う。これがわたしの暮らしだ」
 しばし沈黙が訪れた。風が芝草を揺らす音だけが、周囲を駆け巡る。タディオの祖母は腕を組んで考え込んでいたが、とうとう口を開いた。
「それじゃあ、なにかね。おまえさんは人間なのかい」
「そ、そうだが。それ以外にあるのか?」
 予期していなかった言葉に、たじろぎながらツォベイラはうなずく。タディオの祖母は大きく息を吐き出した。
「わしらはね、星の神々の実の子が地上に下りられたんだと思ったんだよ。星神の遺された土地で良く暮らし、空に歌を歌って呼びかけることで、また神々が地上に戻って共に暮らしてくれはしないかと希望を持っとる。わしらの思いが星に届き、わしら人間が良い生き物になったとき、神々はゲルディアに再び下りてこられる。そのとき、はじめに星神の子が地上にやってきてこの地を調べられるだろうと、むかしむかしの天文学者が結論付けた。わしらは星の子を迎えるためにこうしてこの草原を旅しておる。星の子が迎えられたとなれば、はじめに彼と出会った家族はそりゃあ名誉になるんじゃ。
 ……それが、星の子の名も安くなったものよ! おまえたち家持つ民は星神再降臨の希望を忘れ、神々に見捨てられたといじけながら引っ込んだくせに、人間の子にそのような大それた名をつけるとは!」
 最後は、小さな老婦に秘められていたとは信じがたい大音声だった。タディオとツォベイラの鼓膜はびりびり震えた。
「おまえに怒鳴っても仕方はないな。すまないね。じゃが、星の子を迎えることはわしらの悲願だったのだよ」
「ご老婦の気持ちはお察しする。あなたたちが本物の星の子と出会えるように祈ろう」
「ばあちゃん……」
「行け。とっとと行ってしまえ」
 天幕から出ると、タディオは意気消沈していた。
「ツォベイラ、本当にごめん。こんな誘拐みたいなことして、きみをグリンエリンから引き離して」
「いや、わたしがそもそも外で眠ってしまったのがいけないんだ。タディオが謝ることはない」
「ありがとう。でも、やっぱりおれの気が収まらないよ。せめて、客人に礼を欠いたおわびをさせてほしい」
 天幕に張られた紐に毛皮を干していたマティルダも彼らのところへやってきた。
「そうよ。せっかくあたしの歌があんたを呼んだんだから、人の子でも星の子と同じくらいの見送りをすべきだわ」
「なにか向こうで必要なものとか、欲しいものがあったらいってくれよ」
「あたしたちから贈らせてほしい」
 ツォベイラはとまどい断ろうとした。しかし、二人の真剣な顔は、もし断ったら彼らの名誉を傷つけるであろうことは明白だった。しばらく考えたのちに、彼らに贈ってもらうにふさわしいものに思い当たった。
「それならば、わたしは天幕の中にあったランプがほしい。あの、木を彫ったばかりのやつだ」
 タディオは首をかしげ、マティルダは今日一番驚いた顔をしてみせた。
「そんなものでいいのか?」
「あたしの彫ったやつのこと? あれはまだ枠だけだし、亜麻仁油も塗ってないのよ!」
 マティルダはすっとんきょうな声を出しながらも、天幕からそれを持って戻ってきた。枠だけのランプは波模様が特徴的で、このあたりでは見かけない異国風な様相をしている。ツォベイラはうなずいた。
「それだ。このランプには星の模様はないんだな」
「なかったらいけないわけ? だいたい、あたしはこの平原よりももっと遠くに行ってみたいの。そんな遠い場所の星なんて、わかるわけないじゃない。あんただって、街より広い場所のこと、想像もつかなかったでしょ」
「それは確かに、そうだな」
 ツォベイラはランプを受け取った。壊さないように上着でくるんで抱える。
「ありがとう。君たちに星々の恩寵があらんことを」
「じゃあ、おれがツォベイラを送るよ。グリンエリンの場所は大体わかるんだ。おれがツォベイラをグリンエリンより遠くに連れてきちゃったから、急がないと」
 タディオはツォベイラを天幕の裏側に連れてきた。そこにはきわめて大きな馬が繋がれていた。
「馬だ! こんなに大きいのは初めて見た」
「馬は見たことあるんだね」
「一度か二度だけだが」
 鼻息荒い雌馬はタディオに触れられると、嬉しそうに彼の手を舐めまわした。おっかなびっくり、ツォベイラも馬の鼻面を撫でる。馬は礼儀正しく彼の手を受け入れた。
 ツォベイラが馬に夢中になっているあいだ、タディオは馬に鞍を乗せる。そのうち、天幕の表にふたつの声が近づいてきた。
「父さん、母さん、おかえり」
「なんだ、タディオ、ここにいたのか。彼をどこか連れてくのか?」
 太い腕をした男が顔を出す。タディオは朗らかにいった。
「彼を星々のもとへ送り帰しに行くんだよ! 詳しいことは、ばあちゃんかマティルダに聞いて! さあ行こう、ツォベイラ」
 タディオは軽やかに雌馬に飛び乗ると、ツォベイラを後ろに引っ張り上げた。
「しっかりつかまっててね」
 彼の後ろでまごつくツォベイラに声をかけ、前に向き直ると、馬にも一声かけてあぶみで腹を優しく蹴った。馬は走り出した。
 天幕の前を通ると、くすんだ白をした動物の小さな群れが天幕の前に固まっていた。
「あれが羊か。絵で見たことがある」
「よかったよ、見たことがあって」
 ツォベイラが後ろを振り向くと、みるみる天幕は遠ざかって行く。吹き付ける風に息を詰まらせながら、タディオに話しかけた。
「わたしたちは君たちのことを、君たちはわれわれ家持つ民のことを、お互いもっと知るべきだと思う。君たちがよければ、いつか、グリンエリンの占い館に来てみてほしい。そこで、わたしたちの占いの儀を披露したい」
「喜んで行くよ。きっとすぐに」
 タディオがそう答えたのと同時に、背後から音楽が聞こえてきた。軽妙な音を刻む太鼓と、満天の星空の下で吹く心地よい風を思わせる笛の音が草原に響き渡る。そうして、ひとつの声が調べに加わった。
「天より遣わされた、星の子よ
 われらが歓待を受け 天に帰れ
 神々のまなこは正しかったと
 どうか伝えておくれ
 われらが再び、共に生きる日が来ることを」
 マティルダの歌は素晴らしかった。いつしか歌は止み、風の過ぎ去る音ばかりになっても、ツォベイラにはかれらの音楽のこだまがいつまでも聞こえていた。

 つぎの日、タディオとマティルダはグリンエリンに足を踏み入れた。タディオは物珍しそうにあたりを見回していたが、マティルダは住人たちにじろじろ見られることを気にしていた。どうやらグリンエリンでは、彼らの服装は風変わりらしい。
 住人に尋ねながら歩いてゆくと、占い館はすぐに見つかった。横に長い長方形の真ん中に、それよりわずかに高い三角屋根の円柱がはめ込まれたような外見で、彼らの天幕に少しだけ似ていた。
 占い館はにぎわっていた。まだ日が落ちなかったものの大勢の住人が占い館に詰めかけていた。まだ観客は中に入れなかったので、長い列に並んで待たなければいけなかった。
 夕日がその光のみを残して林の下に隠れたころ、ようやく観客は中に入ることを許され、列はゆっくりと動き出した。
 中に入ると、入り口付近は広くなっていて、待合室の機能を果たしているようだった。漆喰の壁には、ぐるりと絵が描かれている。絵は星神の神話で、北からはじまり、北へ終わる一種の絵巻になっていた。タディオたちの知っている神話とほとんど変りはない。タディオが喜んだことに、羊も絵に描きこまれていた。
「タディオ、見て」
 ふいにマティルダが声を上げた。列から離れない程度に壁に寄り、星神の一団を指さす。
「見てよ、この目」
 彼女が指さす星神たちは、皆一様にすみれ色の瞳で描かれていた。紫水晶をじかに嵌めこんでいる星神さえいた。
 かれらが物思いに沈んでいると、とうとう列の先頭までやってきた。占いの儀式が行われる部屋の入り口には、太った男が立っていた。タディオとマティルダも、ほかの客にならって男の手に小銭を押し付ける。なんとか祖母に許しを得て、余ったチーズを売った金だった。
 男は二人をしげしげと眺めて言った。
「お前ら、風渡りかあ?」
「星追いですよ」
 タディオが行儀よく訂正する。街に住む人々が言う風渡りには、よそもの、ごろつきといった意味が多分に含まれていた。
「なんだっていいけどよ、お前らみたいなよそもんがわざわざ、占い館に何見に来たんだ?」
「ツォベイラを」
 二人は同時に言った。すると、男は途端に相好を崩した。
「へええ、ツォベイラはグリンエリンの外まで名が知れてんのかい。そいつはすげえや。いや、本当にツォベイラの舞いはすげえんだよ。あいつは本物さ。目だって神々と同じ、紫だし」
 二人は顔を見合わせた。男は楽しんで来いとでもいうように、タディオの背中を音高く叩くと、客から金を取る作業に戻った。
 入口のとばりをかき分けて中に入る。中は円形の部屋で、二人が呆気にとられたことに、無数のランプが天井から釣り下げられていた。それも、本物の星空と同じ位置だった。部屋の中は外よりも暗く、ランプが瞬く明かりしかない。暗がりの中で目を凝らしながら、それでもタディオはなにか見つけて、あっと声を上げた。
「マティルダ! あれ、きみのランプだよ!」
 彼が指さす先には確かに、マティルダの彫ったランプが周囲に波状の影を投げかけていた。外の星空では、ひときわ強く輝く星の位置だった。
「あれはリペリの場所だね」
「リペリは憤怒の神じゃないの!」
 マティルダが長いおさげを引っ張りながら腹を立てる。しかし、その顔は誇らしげだった。隣にいた中年の女が彼らに声をかけた。
「あんたねえ、あんなによく見える場所にランプが置かれるのは幸運なんだよ。星神によく見えるところに供えられれば、それだけよく願いが叶うってものよ」
 マティルダがなにか言いかけたところで、硬質な太鼓の音が始まった。どうやらこれが、占いの儀式が始まる合図のようだった。
 だんだんと太鼓の音が高まり、最高潮に達した時、奥の暗闇がさっと開いて幾人もの星の子たちが、中央の舞台に躍り出た。大きいのは五人くらいで、その周りを闇にまぎれてちょこまかと走り回り歌う、少年たちがその倍ほどいた。年長らしい五人は皆、大きな板切れで作ったと思しき仮面をつけ、肌に模様を描き、色とりどりの房飾りや銀の装飾物を身に着けていた。仮面はそれぞれ顔も化粧も違い、星神を模っているようだったが、二人には見当がつかなかった。
 太鼓が造り出す音に笛とチターが加わり、複雑さを増し音楽が部屋を満たす。五人の舞い手のうちの一人が前に進み出た。残りの四人と大勢の少年は後ろの暗がりへ消える。
 それがツォベイラだった。仮面の目の穴の向こうで、すみれ色の明かりが瞬く。仮面をしていてもその下で笑っていることがわかった。二人は彼に見つけられたことを悟った。
 彼は飛び跳ね、回り、はたまた動作の途中で止まったと思えば、複雑奇怪に腕を組み合わせる。首をかしげ、あらぬほうを見つめ、とても真似できないステップを踏む。これらの動作を音楽の隅々にまで合わせて行った。言い表せぬ気迫が部屋中を包む。舞台の上で縦横無尽に踊り狂う彼は二人の知っている物静かなツォベイラとは別人のようだった。いや、まさに別人なのだ。彼の言ったとおり、星神が憑依しているのだとしたら。
 ツォベイラが歌いだす。耳を傾けずにはいられない、どこか遠い場所から丸い天井に響き渡る不思議な歌声だった。受付の男が本物と言ったのも無理からぬことに思われる。
 ツォベイラは引き延ばした節をはたと止め、明瞭な声で朗々と歌いだした。
「昼は風を読み
 夜は星を追う
 われらは空ばかり見上げている」
 二人は息を呑んだ。それは、マティルダの歌い方を巧妙に真似ていた。マティルダは目を舞台に釘付けにしたまま、囁いた。
「あたしの歌……!」
 タディオはほかの客に漏れ聞こえぬようそっとマティルダに耳打ちした。それでも彼は、この歌に深く心を動かされていた。
「おれたちは、これを見るために旅してた気がするよ」
 マティルダは答えない。二人は舞い歌うツォベイラから目を離さなかった。いつの間にか、二人はどちらからともなく手を繋いでいた。
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