火のない図書館


 オーバーシティにある大図書館で、新しい図書館長の就任式が行われていた。正面の重々しい玉座に座するのは、齢十ほどの少年。次代の図書館長には、この少年が任命されたのだ。
 儀式用に飾り付けられた巨大な閲覧室に、三人の男たちが足を踏み入れる。深くマントのフードを被り、顔にはそれぞれ仮面をつけている。仮面は、赤、緑、青に縁取り、化粧を施されている。オーバーシティをかつての都の上に創りあげたという、火、大地、水の賢者の姿に扮しているのだ。
 男たちが少年の前まで来ると、若き図書館長は立ち上がり、三人の前にかしずいた。
「カウス・ボレアリス。オーバーシティの三賢者の名において、おまえを十一番街の主、大図書館の長と認める」
 三人が順に少年の額に触れた。男たちが横に並び、最年長の司書が図書館長の証である銀のペンダントを運んできた。大図書館の紋章である山羊の横顔が彫りこまれている。少年の首にペンダントがかけられると、彼は胸を張って起立した。
 就任式はおごそかに進行していた。図書館内で働くものも、外で本に携わり大図書館に縁のあるもの、みんなが集まって、閲覧室はおそろしく熱い。だが、動くものひとつとしてなく、異様な静寂が会場を包んでいた。
 その様子を吹き抜けから眺める人影があった。司書のケープは着ておらず、欄干に物憂げにもたれかかるその姿は、あか抜けない大図書館の住人達よりはむしろ貴族のように見える。含みのある笑みを浮かべた顔には、ぞっとするような美しさがあった。

 就任式が終わり、カウスは塔の最上階に位置する図書館長書斎にいた。彼を育て指導してくれた先代の私物はすっかり持ち出され、からっぽの本棚が並ぶばかり。広すぎる机に頬を当てて伏せ、途方に暮れていると、扉が開く音がした。
 そこには、金髪の妙な男が立っていた。鳥の翼になぞらえた白いマントを着た、天使のような美青年だが、カウスの記憶にはない。下の階の司書たちはなにをやっていたのかと思いながらも、人を呼ぼうと呼び鈴の紐に手をかけた。
 しかし、いつの間に近付いたのか、男に手を阻まれる。大声を出そうとして、冷たい手で口を覆われた。
「おっと。うるさくしないでくれたまえ」
「だれだ、おまえは」
「誰だと思う?」
 男が冗談めかして言い、カウスの腕をひねる。
「知らない。知らないということは、ここの人間じゃない」
「ここの人間じゃない? わからんぞ。これだけ大きな図書館だ、関係者の数だって馬鹿になるまい」
「関係者なら、全員知っている。さっきの就任式で、めったに会わない外の人間の顔も全員おぼえた。おまえの顔は、知らない」
 男は楽しそうに笑って、腕をつかむ力を緩めた。
「なるほど。その歳で図書館長に選ばれただけはあるらしいな。すばらしい記憶能力だ。僕の名はサビク。以後お見知りおき願おう」
 サビクはそのままもったいぶって、お辞儀をした。どうやら、今すぐになにかされるわけではないらしいと悟ったカウスは、年上の男を睨めつけた。
「ぼくになにをするつもりだ」
「何もせんよ。ただ自己紹介に伺っただけさ、結界の弱まる図書館長交代のときを見計らってね。普段、許可されていない魔術師はここに入れないって知ってるかい? 三賢者のひとり、アルゲニブがささいなことで腹を立てて、蔵書の一部を燃やして以来」
 たわむれに手の先から小さな炎を出して見せる。その隙を逃がさず、カウスは空いた手で紐を力いっぱい引っ張った。けたたましい鈴の音が階下に響き渡る。
 サビクは笑みを崩さずに、肩をすくめた。カウスの背後にある窓を一瞥する。
「せっかく親しくなれると思ったのに、残念だよ、カウス。こうなったからには、要件を早急に伝えよう。僕はある本を探している。ここのどこかにはあるはずなんだ。名前は、ゴーレムのレシピ。見つかったら知らせてくれたまえ!」
 階段を駆け上る、幾人もの足音がした。彼らが書斎の扉を押し開けたとき、部屋には次代図書館長がひとり、開け放たれた窓から身を乗り出して下界を見下ろしていた。

 図書館長には、一番記憶力の良いもの、数えきれぬほどある蔵書の内容と配架を頭に入れている人間が選ばれる。先代がカウスのずば抜けた記憶力に目を留めてから、本の中身はともかく、題名と収められている場所はほぼ完ぺきに覚えていたはずだが、ゴーレムのレシピという本は知らなかった。
 カウスは一番長く勤めている司書に話を聞きに行った。司書は長いこと考えを巡らせてから言った。
「ううむ、サビクの名は聞いたことがある。わしがまだ司書になりたてのころじゃった。ある魔術師が一冊の本を大図書館にかくまってほしいとやってきた。その方が、いつかサビクがこの本を狙って図書館を訪れるかもしれないと口走っておった」
「その方がいったいどこに本を隠したのか、ご存じありませんか?」
「当時の図書館長以外、知らぬのだ。君が先代様から聞いていないのであれば、大図書館のだれも知らぬだろう」
「それでは、その本の装丁は覚えておられませんか?」
 司書は眉を寄せて考えこんだ。
「ほんの寸刻見ただけじゃったが、黒い革に金箔押しだったはず」
 あまりに平凡な見た目に、カウスはがっかりした。同じような装丁の本なら、いくらでもあった。
「なに、大図書館の中からだれにも知られていない一冊の本を探すより、警備の強化を考えねば」
 司書はそう言い残して、結界を張る役目の魔術師たちを探しに行ってしまった。
 カウスは、その本が気になって仕方なかった。とらえどころのないサビク、だれも知らない一冊の本、それらの謎に取りつかれて、物語の中へ入っていくかのようだった。
 どうしても知りたくてたまらなくなったので、過去の図書館長たちの日記を調べてみることにした。先代から始めて、どんどん過去へと日記を遡っていくのだ。図書館長としての仕事の合間に、運んできた日記を読む日々が続き、月の満ち欠けが五回過ぎた。なにせ、半生の日記を何人分も読み込んでいるのだ。とうとう、五代前の図書館長の日記に、ゴーレムのレシピの記述を見つけた。
 そこには、「ゴーレムのレシピは本の中に隠してあった。私はさらにそれを鍵のついた箱の中へ隠そう」と記されていた。
 おそらく、鍵のついた箱とは本物の箱ではなくて、なにかしらの隠喩なのだとカウスは思った。そして、その箱に心当たりがあった。
 大図書館には、いくつか秘密の部屋がある。毒についての本や、あまりにも危険な魔道書を収めるための部屋だ。これらの部屋の入口は隠されているうえに鍵が必要だが、好奇心に襲われた年若い司書たちが足を踏み入れることも少なくない。
 これらの部屋を一通り見たが、見つからなかった。カウスは、書架から取り出した本が床に山積みされている中で途方にくれた。夕食の時刻が迫っているのに、これを全部片付けなければならないことが、放心状態に拍車をかけていた。
 なんとか体を動かさなくてはと、本棚の段に手をかけて体を持ち上げると、段が異様で耳障りな音を立てた。よくよく見れば、その段だけ奇妙に奥行きが狭い。手で探っていくと、真ん中に穿たれた穴がある。鍵穴だ。カウスはその形にふと思い当たった。図書館長のペンダントに彫られた装飾がちょうどこれと同じ形だった。ペンダントを穴に押し当てると、ぴったり嵌った。そのまま回すと、カチッという音がして板が外れ、中には一冊の、黒い革に金箔押しの本が隠されていた。
 部屋の片づけはあとでやることにして、カウスはその本を持ち出した。題名はサビクに言われたものではなく、ただ日記帳とだけあったが、カウスはこの本こそが探していたものだと確信していた。喜びでぼんやりした頭で、本棚の迷宮を潜り抜けて安息の書斎へと急いだ。
 本をめくると、長年開かれなかった本独特の香りが漂った。かぐわしい皮の匂いに、特殊なインクを使っているのだろう、つんとした濃い匂いが混ざって立ち昇った。
 はじめのうちはまさに日記で、たあいのない日常が綴られていた。しかし、本の中盤に差し掛かったとき、突然ゴーレムのレシピ、とだけ書かれたページが出現した。それに続くページには、一人の魔術師が己の魔法だけで人間を作ろうとした過程が詳細に記録されていた。はじめは書き殴りのメモのようだったそれは、しだいに細かく書き込まれるようになり、ついには生れ出た異形のものの観察日記となった。それは、あまりに詳しく、あまりに現実味を帯びていた。
 カウスはその日記を、おもわず燃え盛る暖炉にくべ入れた。

 サビクが次に、十一番街にそびえ立つ大図書館を訪れたのは、満月の夜のことだった。
 窓から射す月明りで図書館の目録を確認していたカウスは、突然影がかかるのを感じた。雲ひとつなかったのにと書斎の窓に目をやると、黒い人影が、閉まっていたはずの窓の縁に腰掛けて、足をぶらぶらさせていた。
 カウスは驚いて息を飲んだが、すぐにその人影の正体に気が付いた。恐怖よりも呆れが声ににじむ。
「結界はもう強めたはずなんだけどな」
 サビクは笑って窓から降り立つと、窓を背にしてカウスの前に立ちはだかった。影が長く、カウスから机、部屋の扉のほうへ伸びる。
「そろそろ、僕の欲しいものを見つけたんじゃないのか。渡してもらおうか、ゴーレムのレシピを」
「なぜわかる」
「あれが開かれる匂いがした。感じるんだ」
 カウスは思わず乾いた笑いをこぼした。両の目は到底子どもには見えない、老成した光を湛えている。
「本を開くにおいはわかるのに、燃やすにおいには気がつかないのか」
 サビクの顔色がさっと変わるのがわかった。逆光で表情をよく窺えなくても、双眸に燃える光ははっきり見て取れた。
「燃やしただと、あれを? お前は自分が何をしたかわかっているのか?」
 怒りのあまりに声が震えていた。いっぱいに見開かれた眼は、なぜだかいまにも泣き出しそうに思えた。
 長い腕が伸びてきて、カウスを打ち、彼は椅子ごと横に倒れた。したたかにぶつけた側頭部をさすりながら、近づくサビクを見据えた。
「あんまり強くぶつけたら、忘れてしまうかもしれないな」
 サビクが歩を止めた。図書館長を見下ろすその眼は、さきほどのような激しく揺れる炎ではなく、氷に中に閉じ込められた炎を思わせた。
「読んだのか」
「あたりまえだよ。レシピはぜんぶ頭の中にある」
 サビクは握りしめていた掌をゆるめた。その手をもたげ、まるで天使がするようにカウスの額にかざす。
「僕はおまえを呪う。僕の名においておまえを呪う」
 ふいに窓から風が吹き込み、カウスは目をつむった。机の上の目録が鳥のはばたきじみた音を立てる。その中でサビクの声がはっきり聞こえた。
「二度と火に触れられぬようにしてやる。乾いた羊皮紙を燃やすことも、その小さな頭に詰め込まれた記憶を燃やすことも許しはしない」
 風が一段と冷たくなり、カウスに切り付けた。彼は風の中でもがいてサビクのほうへと手を伸ばしたが、凍える風が全身にまとわりつくだけだった。
 いつのまにやら眠っていたのだろうか、カウスは体を起こした。サビクはいなくなっていた。
 すべては夢だったのかもしれないと思いながら、頭をもたげ窓に目をやると、開いたままの窓から月が覗いていた。そして、腹の底まで冷え切っていることに気が付いた。体のすべてが氷で作り直されたかのようだった。
 カウスが弱々しく燃えていた暖炉の炎に手を差し入れると、炎は不満げな音を立てて、それっきり消えた。
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