ドラゴルド城の竜


 むかしむかし、まだ竜が世界にたくさんいたころのことです。メルデという小国がありました。そこではみんなが平和に暮らしていました。ところが長年対立してきたトレアウルム国に、和平の証としてメルデの姫君を差し出さなくてはならなくなりました。
 さて、メルデの王様には三人の姫君がおりました。美しい長女、賢い次女、優しい三女です。話を聞いた末の姫君は、婚約者がいる長女と、父である王の仕事を支える次女のかわりに自分が名乗りを上げました。この三女の名をソシーといいました。ソシーは長い亜麻色の髪を自慢にしていました。

 とうとうトレアウルムには、ソシーが赴くことに決まりました。姉たちはたいそう悲しみ、妹に髪に塗る香油を贈りました。ソシーは家族全員を抱きしめ、別れの涙を流しながら馬車に乗って旅立ってゆきました。
 馬車は三日三晩走り続け、ようやくトレアウルムに到着しました。ソシーが馬車から降りると、目の前は切り立った険しい崖で、はるか上のほうにお城の鋭く尖った尖塔が見えます。トレアウルムは豊かでにぎやかな国だと聞いていたので、どうしてこんな町から離れたところに連れてこられたのかと姫君がいぶかしんでおりますと、馬車の旅で世話をしてくれた乳母が口を開きました。
「ソシーさま。このお城はドラゴルド城でございます。人質としてつかわされた姫は、結婚相手が決まるまでここに置くようにと女王ゲンマさまからのご命令です」
 ソシーがなにかいう前に、ぶどうのつるで編んだかごが下りてきました。どうやらこれに乗ってお城まで引き上げてもらうのが、ここからの旅になるようでした。この崖では姫君の足はもちろん、馬の脚でもとうてい役立つとは思えません。
「かごは途中で壊れたりしないのかしら」
「綱をしっかりお持ちください」
 ソシーがそのようにすると、ゆっくりとかごが持ち上がり、崖をのぼってゆきました。
 かごでの旅は景色が抜群で、崖の背後に広がる海や反対の方角に見える大きな町がいともたやすく見渡せました。
「なんてすばらしい眺めなのでしょう。だけど、なんて風が強くて冷たいこと。かわいい小鳥のように空を飛んでみたいと思ったことはあるけれど、翼あるものはこんなに寒い思いをしているのね」
 海からの風が潮を乗せてびゅうびゅう吹きつけるので、ソシーは寒くなって長い髪を引き寄せ、かごの隅に縮こまりました。
 ふいにかごが止まり、慎重に地面に降ろされました。お城に到着したのです。かごを引き上げていた大柄な侍女がソシーを立たせてくれました。侍女はほかに二人いて、全員、髪をきつく三つ編みにし、お仕着せに不釣り合いな、真珠を縫いつけたリボンを編みこんでいました。また、何の感情も映さない瞳も三人同じでした。
「お待ちしておりました、ソシー姫。こちらへついてきてください」
 一番背の低い侍女がそういうと、門を開きお城の敷地に入ってゆきました。ソシーの後ろから二人の侍女が早く城に入るようにうながします。ソシーは吹きすさぶ海風に怯えながらお城の中に入りました。
 その日は軽い夕食を食べて湯浴みするともう、旅の疲れのためにぐっすりと寝入ってしまいました。

 つぎの日、侍女が朝食を運んでくる音でソシーは目を覚ましました。太陽はすでに高く昇り、大きすぎるベッドを明るく照らしています。それからも姫君の寝室へやってきて世話をするのは昨日見た三人の侍女だけでした。ソシーは掃除をしていた背の低い侍女をつかまえました。
「このお城で見るのはあなたたちばかりね。ほかにひとはいないの?」
「あたいら三人とソシー姫だけでございます」
「それでこのお城を管理できるの?」
「なんとかやっております」
「どうしてわたしをここによこしたのかしら」
「奥さまは」奥さまとはこの国の女王のことでした「集めた財宝をまるで竜がするように、この城にたんまりため込んでいるのです。この崖では敵の軍隊も汚い盗人もやってこれますまい。そして一度この城に入れば、死ぬよりほかに逃げるすべはないでしょう」
「それでは、どうやってここにお城を築いたのかしら」
 しかし背の低い侍女はこれには答えませんでした。
 侍女たちがどうやらお城の仕事に忙しく、ソシーに必要以上関わらないのを見て取って、彼女はお城の中を歩き回りました。お城には金銀で作られた甲冑が並び、そこかしこに金貨の詰まった箱や、使う人もいない美しい食器が置かれ、部屋という部屋に高名な画家に描かせた絵が飾られていました。そこでまた、ソシーは質問をしに、台所で鍋を洗っていた中くらいの背丈の侍女をつかまえました。
「このお城に宝物庫はないの? あちこちに宝物が転がっているわ」
「このお城自体が宝物庫なのでございます」
「だって、わたしが触ったり持って行ってしまったりするかもしれないのよ」
「触ってもかまいません。元に戻してくだされば。ですが、もし姫がここをお発ちになるときに、お城にある宝を持って行ってしまわれては大変です。ひとつでも宝が欠ければ、奥さまはどこにいようと気づかれます。そうしたらきっと、厳しくお咎めになってお仕置きをなされますわ」
「いったい、どうやってこんなにたくさんあるなかから、ひとつの宝物がなくなったことがわかるのかしら。女王さまはここにいらっしゃらないのに」
 しかし中くらいの背丈の侍女はこれには答えませんでした。
 宝物に触ってもいいといわれたので、ソシーは無造作に置かれた宝物を見て回りましたが、興味を引かれませんでした。彼女は美しい宝石よりも美しい言葉が好きでした。お城の図書室には豪華な装丁の本がたくさん収められていたので、ソシーは嬉しくなって本を何冊も開いてみましたが、そこには難しいことばかり書かれていました。図書室を見て回っていると、一番隅の棚にひっそりと薄い絵本が並べられていることに気が付きました。「あしあとのものがたり」と題されたそれを手に取ると、高価な金縁の羊皮紙に子どもが描いたような絵で、文字は大人が書いているようでした。ソシーは、悪い魔法使いと主人公が対決する場面の「ボニタスは剣を抜いてマリーセルのもとに走り出しました。そのあしあとの一歩一歩には、かれがこれからおこなうすばらしいことがぜんぶ書きしるされておりました」という文章だけは気に入りました。
 図書室をあきらめて廊下を歩くとお城の奥に薄暗い階段があるのを見つけました。ずっと下へ続いているようで、お城の床は磨かれた大理石なのに、その階段はむき出しの荒い岩でつくられていました。ソシーはなんだか恐ろしくなって、いそいで引き返しました。ぴかぴか光る財宝に囲まれた廊下まで来ると、安心して足を止めました。ほっと息をついたら、大釜で洗濯する大柄な侍女が見えたので、ソシーはそちらへゆきました。
「さっきお城の奥で下に続く階段を見たわ。まっくらでとても怖かった。あの階段はどこへ続いているの?」
「その階段は下りないほうがよろしいですよ。あの先には竜が巣をつくっているのですからね」
 これにはソシーも驚きました。故郷で竜が飛ぶ姿を遠くから眺めたことはありましたが、こんなに間近にいることは初めてでした。
「竜は人のいるところには近づかないと思っていたわ」
「きっと変わり者の竜なのでしょう」
「竜の巣の上にお城を建てたの? 宝物を竜に護ってもらうために? だとしたら竜はここにある財宝を見に、お城まで上がってきたりしないのかしら」
 しかし大柄な侍女はこれには答えませんでした。

 城を歩き回り終わったソシーは寝室へ戻りました。ですが、頭の中は城の地下にいるという竜のことでいっぱいでした。とうとう竜の姿を見たくてたまらなくなったので、ランプを持ち、あの階段を下りてみることにしました。頭にはメルデから持ってきた姫君の証である王冠を被っています。竜は光る財宝と同じくらい、お姫様が好きだと聞いたので、これを被っていれば危害を加えられることはないと思ったのです。
 階段は暗くて狭くじめじめしていて、ソシーはなんどもすべって転びそうになりました。階段が下へ下へと続くほど、壁は湿って海のにおいが強くなっていきました。もう上を向いてもお城の明かりは見えません。ソシーが戻れなくなるのではと不安を抱いたころ、階段は終わりました。先には扉のない開けた空間が広がっています。ソシーはもっとよく見ようとランプを掲げました。
 はたしてそこには竜がいました。角がソシーの頭ほどもある竜が、とぐろをまくように横になりながらこちらを見つめていました。深い海の緑色をしたうろこが全身をおおい、突起の付いたコウモリのような翼を持ち、頭には大きな角が二本生えています。それはまぎれもなく竜でした。
 ソシーが夢中で竜に見入っていると竜は体を起こして、ソシーのほうへやってきました。竜の重みで部屋が震えます。竜はやさしそうな目をしていたので、ソシーは恐怖を感じませんでした。竜が彼女の前に頭をもたげたので、ソシーは竜の頭を撫でてやりました。そのうろこはすべすべして気持ちのよい冷たさでした。思わず顔を寄せて竜を抱くと、竜は満足そうに鼻を鳴らしました。
 ソシーは竜になぜ自分がここにいるか話して聞かせました。竜が熱心に彼女の話に耳を傾けるように見えたので、ソシーはたくさん話をしました。故郷メルデのお城から望む美しい山々のこと。華やかな春の祭りのこと。恋しい家族のこと。しゃべりつづけているうちに、ソシーの瞳から涙がこぼれ落ちました。竜はしっぽの先を器用に使って、涙をぬぐってやりました。
 その夜のことです。ソシーは寝室の窓辺で自慢の髪をくしけずっていました。明日は竜と何をしようか考えて眠れなかったのです。うわの空で、やわらかく癖のない髪に手を走らせておりますと、窓の外に小さな明かりが見えました。はじめは星かと思いましたが、移動し続けているのです。窓に頬を当ててよく見ると、それは星などではなく松明の明かりでした。明かりは三つあり、それぞれ三人の侍女が手にしていました。侍女たちは崖まで来ると、山羊のように軽い足取りで険しい岩場を下ってゆきました。

 侍女たちがその後どうしたのか気にかかりましたが、気が付くと朝でした。今日は竜のもとで絵を描くことに決めました。
 ソシーは竜の姿を木の板に描いてゆきました。翼がうまく描けずに苦戦していると、ふと疑問が口からこぼれました。
「あなたにはそんなに大きな翼があるのだから、逃げようと思えば逃げられるでしょうに。わたしに翼があったら、きっとお城を壊してでも逃げ出してしまうわ」
 そして、描いた竜のとなりに自分の姿も並べて描きいれ、その背に翼を描き足すのでした。
 それを見ていた竜は、しっぽを伸ばしてソシーの手からそっと筆を奪いました。まだなにも描かれていない板きれに筆を伸ばしましたが、うまく操れずに落としてしまいました。今度はソシーが筆を支えてやりますと、しっぽは震えながら文字をつづってゆきました。
「じじょのしんじゅをとってごらん」
 板にはそう書かれていました。
「真珠って、侍女たちが頭に編みこんでいるものよね?」
 ソシーが竜を振り返ると、竜は人がするようにうなずきました。それから、疲れたようにうずくまるとまぶたを閉じました。

 竜が眠ってしまったので、ソシーは竜のまぶたにキスして、階段を上り、お城に戻りました。侍女の真珠になにがあるのか気になって仕方がなかったので、竜のいうとおりにしました。
「ねえ、ちょっと止まってくれないかしら。そのままじっとしていて」
 ソシーは背の低い侍女を呼び止めると、背後に手をまわしました。侍女は姫君の言葉に逆らえないように、いわれたとおりにしています。ソシーは真珠を縫い付けたリボンに手をかけると、すばやく結び目を解いて引き抜きました。
 するとどうでしょう、白いリボンは手の中で白いヘビに変わりました。ソシーがびっくりしてヘビを落とすと、床に触れたヘビは、またリボンへと姿を変えました。
 背の低い侍女はほどかれた金色の巻き毛を広げて呆然としていましたが、とたんにわっと泣き出してしまいました。
「なんでこんなことなすったんですか」
「竜にいわれたの。ねえ、泣かないでちょうだい」
 ソシーが侍女の肩を抱いてなぐさめると、金髪の侍女は目をこすりながら話し出しました。
「カイルムさまがおっしゃられたのでしたら、しかたありますまい。あたいらが髪に編んでいる真珠のリボンは奥さまがくだすったものなんです。あれを髪にいれていると、奥さまのいうことに逆らえなくなるのです。あたいらは毎晩仕事が終わったら、奥さまに呼び寄せられて、髪を解いてとかしてもらいに、崖を下ります。そうしてまた髪を整えてもらったら、お城に戻るのです。ああ、奥さまがどこにいても、魔法の力で飛ぶように走らされるのです」
「カイルムというのがあの竜の名前なの?」
「ええ、そうでございます。ですが、あたいはカイルムさまのことは詳しく知りません。中くらいの背丈の侍女ならよく知っていますが。さあ、あたいの髪を元どおりに編んでください。奥さまに見つかったら大変です。恐ろしいかたなんですから」
 ソシーは侍女の髪を元どおりに編んでやり、リボンを手に取りました。すると、リボンはまたヘビの形になって、編んだ髪の中にするする入ってゆきました。ヘビがリボンの姿に戻ると、背の低い侍女の目から生気が消え、平坦な口調でなんの用かとたずねました。
 背の低い侍女になんでもないと告げて、ソシーは中くらいの背丈の侍女を探しまにゆきました。ついで、中くらいの背丈の侍女にも、背の低い侍女にしたのと同じことをしました。リボンを引き抜くと、またしてもリボンはヘビの姿になり、床に落ちるとまた元に戻りました。
 中くらいの背丈の侍女はみごとな赤い巻き毛を広げて呆然としていましたが、我に返るとしくしく泣き出してしまいました。
「泣かないで。わたしに侍女の真珠を取れといった、あの竜のことを教えてちょうだい」
「カイルムさまがおっしゃったのですか」
 赤毛の侍女ははっとして泣くのをやめました。少し考えてから、話し出しました。
「竜の名はカイルムといって、かつてはトレアウルムの王子でした。ゲンマさまのご子息です。カイルムさまが奥さまの財宝に対して憎まれ口をたたかれたので、奥さまはお怒りになって、カイルムさまをここに閉じ込めてしまったのです。カイルムさまもカイルムさまで、母上に対して腹を立て、みずから竜の姿へと変わってしまいました。それからずっと、ご両人とも折れることなく、いがみあっておいでになるのです」
「彼を救うことはできないのかしら」
「母上が謝られるまで、人の姿に戻るつもりはないとおっしゃるのです。これには強力な魔女であるゲンマさまも、ほとほと困っておいでで……」
 そこまで話すと赤毛の侍女は口をつぐみました。ぎょっとした顔で口元を隠します。
「女王さまは魔女でいらっしゃるの?」
「出過ぎた口をきいてしまいました。あたしからはそれ以上申し上げることはできません。大柄な侍女にお聞き下さい。彼女なら奥さまのことをよく知っています。さあ、あたしの髪を元どおりに編んでくださいませ。奥さまに知られたら大変ですわ。あのかたはだれよりも恐ろしいかたなのですから」
 そこで、ソシーは侍女の髪を元どおりに編んでやりました。そして、中くらいの背丈の侍女を解放すると、これまでのように、大柄な侍女にも同じことをしました。
 大柄な侍女は立派な黒い巻き毛を広げて呆然としていましたが、ソシーに気が付くとびっくりして腹を立てました。
「なんてことをなさるのです!」
「怒らないでちょうだい。竜、いえ、カイルムさまが侍女の真珠をとれとおっしゃったのよ。女王ゲンマさまのことを教えてほしいの」
 黒髪の侍女は長椅子にソシーを座らせると、並んで腰掛けました。
「いいですか、女王さまはそれは力のある魔女です。くれぐれも逆らおうなんて考えてはいけませんよ。
 ですが、ふたつ弱点があります。ひとつはこの城から女王さまに気づかれずに、財宝をひとつでも盗みだすこと。城に蓄積された宝が、女王さまの魔力の源となっていて、ひとつでも宝を失うと、その力の大部分が失われるのです。しかし、これは不可能です。女王さまが身に着けている大粒の真珠の首飾りが、城から財宝が盗まれると女王さまに知らせるからです。
 ふたつ目はその首飾りを奪い、砕いてしまうこと。この首飾りが女王さまの魔法を助けているので、女王さまは湯浴みをするときも眠るときも、これを離すことはなく、こちらも不可能に近い。
 このふたつをどちらも成し遂げることができたら、女王さまはこの城を支配する力を失い、私たちもカイルムさまも自由になるのですが」
 黒髪の侍女はため息をつきました。ソシーは絶望に駆られて侍女に詰め寄りました。
「あなたがいうことは不可能なことばかりじゃないの。もし失敗したらどうなってしまうの?」
「失敗したら、髪に真珠を編みこまれ、一生女王さまにお仕えしなくてはなりません。さあ、私が話せることは全部お教えしましたよ。髪を元どおりに編んでください。あのかたが死ぬほど恐ろしいことは、もう充分知ったでしょう」
 そこで、ソシーはそのとおりにしました。

 つぎの朝、暗い気持ちがぬぐえないまま起きると、中くらいの背丈の侍女が顔を出しました。
「ゲンマさまがお呼びでございます。身支度がすんだら、崖の下に下りてくるようにとのことです」
 ソシーは慌てて顔を洗うと、一番上等のドレスを着せてもらい、髪をとかしました。姉たちがくれた香油を髪によく塗りこんだので、ソシーの髪は宝石のように輝き、より滑らかでしなやかになりました。
 崖の下までは、またかごに乗っての移動でした。上るときはあんなに長く思えたというのに、今度は景色に目もくれず自分のうちにこもって考え事をしていたせいか、あっという間に地上に着きました。
 ソシーがかごから這い出て、風にあおられ乱れた髪を整えていると、目の前に止まっていた馬車から女王が出てきました。
 女王ゲンマは背が高く、とても目を引く美女でした。漆黒の髪を頭のてっぺんでまとめ上げ、白いサンゴで飾っています。髪と瞳の黒さとは裏腹に、衣装は白で統一されていました。純白の絹のドレスを身に着け、雪のように白い毛皮のストールをまとい、長い首元には大柄な侍女の言っていた、大きな真珠の首飾りをつけています。老いてはいませんでしたが、とうてい年齢が推測できない、妖しい魅力がありました。女王はソシーを見て、紅を引いたくちびるに微笑を形作りました。
「おまえがソシーね。なんとまあかわいいこと」
 ソシーは無言で膝を曲げておじぎをしました。
「おまえの結婚相手が決まりそうよ。王さまの甥がぜひおまえを見たいというの。今日これから、その花婿候補のもとへ行くのよ。でもそのまえに、おまえに親愛の証として、ドラゴルド城にある財宝をひとつ差し上げるわ」
 これを聞いてソシーの顔がにわかに明るくなりました。
「本当によろしいのですか!」
「ええ、本当よ。なんでもいってごらんなさい」
 ソシーは思わず女王の前にひざまずきました。
「親切な女王さま、それならば、わたしはあの竜がほしいのでございます」
「なんですって!」
 女王の顔が一瞬で深紅に染まりました。ですがまた瞬時に気を取り直し、咳払いをひとつして、ソシーに微笑みかけました。
「いいわよ。おまえはあの竜と友達になったのね。知らぬ土地でひとりぼっちではつらいでしょう。なぐさめにあの竜を連れてゆくといいわ」
 感謝で目を潤ませたソシーはやさしく立たされました。彼女が目を上げると、女王の首には白く太いヘビが巻き付き、ソシーに牙をむいていました。
 女王は悲鳴をあげようとするソシーを押え、すばやく長い髪を編み上げました。それはもう早い手際で、ソシーは暴れる暇もありませんでした。髪が編みあがると、女王は首飾りの留め金を外し、ヘビは自分でソシーの髪に巻き付いてゆきました。
 女王が、瞳から光が消え人形のようになったソシーを満足して見つめていると、やにわに崖から大きな音がしました。崖の中腹が恐ろしい音とともに崩れ、中から一匹の竜が飛び出してきました。女王は傾きかけているお城に手をかざして、お城をまたまっすぐの位置に直しました。
 ソシーは崖が崩れた振動で、糸の切れた操り人形のように倒れそうになりました。すんでのところで竜が舞い降り、王子の姿になってソシーを抱きかかえました。
「カイルム、ようやく意地を張るのをやめたのね」
「ええ、そうですよ。翼を持ちながら意地でも外に出てやらないことが、母上のした仕打ちに対する仕返しだと思っていた。さぞかし不愉快だったでしょうね、大事な宝物の中に価値のない僕が混ざっていては」
 カイルムは女王と冷たい視線をかわしました。王子はソシーと同じくらいの歳だと見え、漆黒の髪に、竜の翼をかたどった、とげとげした王冠をいただいていました。彼は女王によく似ていました。
「ソシー、こちらに来なさい」
 王子の腕から抜けて、ソシーは女王のもとへふらふらと歩き出しました。カイルムはとっさに彼女をつかんで引き戻そうとしました。ソシーの体が大きく揺れた拍子に、香油を塗ってつややかになった髪が宙に投げ出され、するするほどけて、真珠の首飾りは弾き飛ばされて地面に落ち、音を立てて砕けました。
 女王が苦痛の叫びを上げました。ソシーは女王の声で正気に戻り、自分の手をつかんでいる王子の姿をみとめました。
「人の姿に戻ってよろしかったの」
「もう母のことはどうでもいいんだ。僕が城から出て元の姿で母と相対できたのは、きみのおかげだよ。きみのキスで目が覚めたんだ」
 ソシーは顔を赤らめました。
「あのときはまだ人間だったなんて知らなかったわ」
 カイルムはソシーににっこり笑いかけると、女王に向き直りました。
「さあ、母上。僕はもうあなたの手の中には戻らない。ソシーもあなたに渡しはしない。おとなしく隠居してください」
「わかってないわね、カイルム。真珠はなくなったけれど、わたくしにはまだ城がある。おまえにどうこういわれる筋合いはないわ」
 さきほどよりも凄味の増した女王が言い放ちました。ソシーはそれを見て、ふいにひとつの文章が頭に浮かびました。
「ボニタスは剣を抜いてマリーセルのもとに走り出しました……。その足跡の一歩一歩には、彼がこれから行うすばらしいことがぜんぶ書き記されておりました」
 思わずそうつぶやくと、突然、女王が目を剥いてお城のほうを凝視しました。お城が轟音を立て、砂で作ったお城がするように潰れようとしているのでした。
「わたくしの城が!」
 女王は叫びましたがお城を止めることはできませんでした。
「なんでボニタスのことを知っているんだ?」
 カイルムが、心から驚いた様子でソシーに問いかけました。
「図書室にあった絵本にありました。なんとなく覚えていたの」
「それは、僕が考えた物語の文章だ。きみはあの城から、僕の絵本の一節を盗み出したんだよ」
 王子は姫君の手を改めて取りました。
「それでは、もう女王さまに怯えることもないのですね」
「そうだよ。きみが女王から魔法を奪って、僕たちを救ってくれたんだ。本当にありがとう」
 女王はお城が完全に崩れてしまうと、くるりと向きを変え、お城もソシーたちのことも返り見ずに、馬車に乗り走り去りってゆきました。

 ソシーとカイルムは盛大な結婚式を挙げました。メルデからもトレアウルムからも、国民はみな招待されました。たったひとり、女王ゲンマだけは招待されませんでした。女王の行方をだれも知らなかったのです。三人の侍女たちも、花嫁に付き添って参列しました。彼女たちはソシーおつきの侍女になりました。
 宴は七日間、昼も夜も続きました。世界中の竜も宴に集まりました。乙女たちは争うように竜の紳士をダンスを誘ったものです。だって、そのうちの何人かは、変身した王子さまかもしれないのですから。

inserted by FC2 system